誰であれその人の悪い点はその背中に書いてある、というのは私の父が良く言っていた事だが、蓋し名言だと思う。誰でも他人の背中には良く目が行くが自分の背中は見えない。自分の行いを反省する、と言っても鏡に映る自分の前姿を注視するのがせいぜいで、背中に書かれている事を他人から指摘されて初めてハッとする事が殆どだ。時には「そんな筈はない」と強弁して認めようとしない事すらある。
フジテレビも一回目の社長会見は自分の前姿だけを気にして行ったようだ。周りの人なら誰でも分かるその不備に全く気付かなかった。事前に外の眼を借りてチェックすべく例えば社外取締役を集めて予行演習などをすれば良かったのに。
自分の事を棚に上げて他人の欠点や短所をあげつらうのは、しかし悲しいかな人間の性であるようだ。昨今、テレビなどマスメディアの存在意義が問われている最中でもテレビはSNSの批判に忙しい。兵庫県のある県議に誹謗中傷がSNS上で集中した事を盛んに問題にしている。ファクトチェックは行われたのか、ユーチューバー達は事実がどうかより閲覧数を稼いでお金儲けだけに関心がある、等々。
あれっ?半年前はどうだったか。どのテレビ局も齋藤知事の極悪非道ぶりを連日流した。マスメディアが束になって一斉に悪評を流されるのは、恐らくSNSで騒がれる以上の精神的負担に違いない。あの時メディアはファクトチェックを行ったのか。他局の尻馬に乗って、視聴率稼ぎだけに関心が行っていたのではないか。今ワイドショーがSNSに対して行っている批判は、そのまま自分自身が反省すべき事柄なのだ。
ある女を罰せよと迫る群衆に対し、イエスは「なんぢら内、罪なき者まづ石を擲て」と言った。人を責める時は自分の背中を再度見よ、という事か。
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