石破総理による金券配布問題は「政治とカネ」の問題というより「公私の区別」の問題のような気がする。総理総裁といえども私的生活の領域はあるだろうから、その部分で誰かをねぎらうべく私費でもてなしたとしてどこに問題があろうか。いや、自民党の党務に関する事だからと、原資が税金から出された政党交付金であったとしても、一旦党の自由になるカネになったものを党がどう使おうと文句を言えた筋合いではない。
しかし、巷間囁かれるように官房機密費が使われたとなるとこれは大問題だ。そんな事はないと信じたいが、もしそうだとしたら公費を私的に使った事になるから公金横領という刑事罰の対象となるべきものだ。「政治とカネ」どころの騒ぎじゃない。
かつて総理のお友達のために、国有財産が不当に安く払い下げられようとした事件があったが、これも公文書偽造などではなく、本来正しく管理すべく任された仕事を裏切った訳だから刑法第247条背任罪として問われるべきだった。
「政治とカネ」とは政治がカネによって曲げられ正しさを失う事が問題なのだ。選挙の際の買収とか、政策遂行時の贈収賄などが卑近な例だ。しかし最近周りを見渡すと、政治を曲げるのはカネより情報の方が大きいような気がする。フェイクニュースによって世論が操作される例がとても多いように思える。しかもこの場合、事態がより深刻なのは操作されている側に後ろめたさが全くない事だ。カネで買収された時にはいくらかは後ろめたさが残るだろうがフェイクニュースで踊らされても自分の正義を疑わないケースが殆どだろう。
ニュースのネタがどこにあるのか、常に注意しなければならない。これからは「政治とカネ」以上に「政治とネタ」の方がずっと重要になりそうな気がする。