2015年6月30日火曜日

健康指導

定期健康診断を受診して各種指標に悪化傾向が見られるとの事で健康指導を受けることになった。健康のため毎日のカロリー摂取量を減らさないといけないそうだ。そのために何を食べてはいけない、何を飲んではいけない、と耳に痛い注文をいろいろ聞いてきた。
厚労省は増大する医療費を抑制しようと、メタボ健診や、宿泊型新保健指導プログラムと言って旅館やホテルに泊まりがけで運動・栄養の保健指導を受けるプログラムを進めているそうだ。特に後者はホテルへの宿泊や観光地の散策が地域経済の活性化にも結びつくため、成長戦略の一つにも盛り込むとか。アベノミクスだ第三の矢だとかに便乗して予算を獲得しようとする役人根性丸出しの牽強附会にはあきれるしかない。
健康に暮らしたいというのは誰しもが望むところではあるが、一方で誰も死を逃れることが出来ないのも厳然とした事実である。将来のある二十代三十代の若者なら、いくらか食事を制限してでも健康で生きてもらわないといけないが、もう孫も出来て次世代へのバトンタッチも終えた還暦過ぎのおじさんはそろそろどう死ぬかを考えるべきではないか。死を射程距離に入れての健康指導であるべきだ。
異性にモテたいのでスリムな体形を維持しようと好きな食べ物を諦めるというのなら理屈が通っている。だが、単に長生きするために、つまり将来美味しい物を食べるために今それを諦めるというのは筋が通らない。味覚が達者な今こそ美味しい物を楽しまなくてどうする。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んでコロリと死んだ方が医療費削減のためにも良いのではないだろうか。還暦過ぎのおじさんに対する健康指導は、どういう食事をすればピンピンコロリと死ねるかを主眼にすべし、というのは言いすぎかな。

2015年6月23日火曜日

名所続き

東京は上野にある東京都美術館で大英博物館展が開催されている。その中の展示の一つに「インダス文明では大きな遺構や遺跡が発見されていないことから比較的民主的な社会であったと思われる」というような記述があった。当コラム407回で言いたかった事はまさにこの事だ。
現在観光名所となっている施設の多くはかつて時の権力者や金持ちが民衆から搾取した富を原資にして作られたものだ。北京の北西にある頤和園は西太后が贅の限りを尽くしたもので、本来なら軍備に回すべき予算を流用して作らせたと言われる。お陰で李鴻章は満足な海軍を構成できず日清戦争に敗れたとか。百年後にそれが観光資源となって国に富をもたらす事になろうとはその時想像もしなかっただろうが。
これと逆の事を思ったのが秋田での体験だった。能代での仕事が入ったのを奇貨として秋田を観光しようとして早めに入った一日の長かったこと。久保田城として知られるかつての佐竹氏の居城はそこに立てられた説明書きによると「石垣も天守閣もない城として特徴がある」との事。石垣も天守閣もない城とはまるで黒髪もつぶらな瞳もない乙女みたいではないか。観光案内を見たら旧金子家住宅というのがあったので行ってみた。江戸時代の豪商の住宅だが、酒田の本間家は言うに及ばず出雲地方に残る豪農屋敷よりも規模が小さい。赤れんが郷土館はいささか権威を感じさせるものだったが、これは旧秋田銀行本店で明治以降のものだ。
思ったより時間を潰せない一日、秋田市内をぶらついて思ったのは、この地を支配した人が民衆を搾取しなかったのだなあ、という事だ。竿燈祭りは搾取に苦しむことなく生を謳歌する民衆の象徴だ。秋田県知事がかつての領主佐竹氏の末裔である事とそれは関係ないだろうが。

2015年6月16日火曜日

お洒落

前回の当欄で御紹介した某氏、タップダンスを習いたいと思ったのは、月の明るい夜に赤坂の一ツ木通りをタップを踏みながら歩いたらさぞかし気持ち良いだろうと思ったからだそうだ。恐らくその横には愛する女性がロングスカートの裾をなびかせているイメージも頭の中にあるのだろう。この人、考えることもお洒落だし、やることもお洒落だ。
そもそも「音の個展」をやろうという発想からしてお洒落だし、それを実際にやってしまうのだから。お洒落とは自らの努力によってまわりから格好良いなあと羨ましがられるようなことをする事だろうと思う。いわば文化と教養の所産で、金にあかせて有名ブランド品で身を包んだりするような行為はお洒落の対極にある恥ずかしい事だ。蛮カラなどはお洒落をできない男の開き直りと言って良いのではないだろうか。
「音の個展」では良く知られた曲を彼なりにジャズ風にアレンジしたものや、自作のCDの中からの数曲が披露された。自作のCDは各曲の題名の横に作曲した年代が付記され、その下にその曲に関する想い出が書かれている。中でも私の一番の好みはファンシー・モーメンツと名付けられた曲で、その想い出は以下のように書かれている。なんとお洒落なプロポーズなのだろう。
「その人のために作曲し、手書きの楽譜にし、丸めてまわりにピンクのリボンをかけて、デートの時に手渡した。そしてその人と結婚した。(今その人はこのピンクのリボンと楽譜のことを全く覚えていない)この曲を結婚披露宴のテーマ曲にし、オーケストラ・バックでピアノコンチェルト風に弾いた。披露宴の引き出物はこの曲の出だし四小節の譜面がプリントされたお洒落なグラスのセットだった。」

2015年6月9日火曜日

軽妙トーク

私のある友人が「音の個展」というのを開いた。普通個展といえば絵画を展示するものだが、彼の場合は自作の曲も含めてピアノ演奏を披露しようというものだった。某放送局を定年退職してピアノの腕前は玄人はだし。自作の曲をコンピュータによるMIDI音楽を伴奏ピアノ演奏したCDを作ったりする程の人だ。その演奏をお聞かせできないのは残念だが、演奏の合間のトークが軽妙だった。
「定年が間近になって、退職したらあれもやりたいこれもやりたいと思っていたが、今思うとやりたい事には二種類あるようだ。本当にやりたい事と、本当はやりたくない事。例えば撮りためた写真を整理しよう、などというのは後者の典型例で本当は出来ればやりたくない事だ。本当にやりたい事にも二種類あって、やれば出来る事とやりたくても出来ない事。若い頃時間があったらタップダンスを習いたいと思っていたが、今になると膝や腰の状態からしてとても出来るものではない。」教訓:本当にやりたい事は今すぐやろう。
「押入れを整理していたら、大学の入学祝いに貰ったボールペンが出てきた。大事なものだから大切に仕舞っておいたものだ。何十年か経って取り出してみると、もうボロボロになってとても使えた代物ではなくなっていた。」教訓:大事なものはすぐ使おう。
「バスを待っていると反対側の路線の方は何台も通過するのにこちら側はなかなか来ない事がよくある。やっと来たと思ってもいつもせいぜい一台。どうして神様はこうも不公平なのか、と愚痴をこぼしたくなるが、ある日ふと自分の勘違いに気付いた。こちら側のバスには最初に来た一台に乗ってしまうから次に何台も連続して来たとしてもそれに気付かないだけなのだ、と」教訓:自分の立場を俯瞰視しよう。

2015年6月2日火曜日

PAZ

PAZという言葉をご存じだろうか。UPZは?実は私も「東京ブラックアウト」という本を読んで初めて知った。
この本は当コラム374回でご紹介した「原発ホワイトアウト」の続編として書かれたものだ。仮想の新崎原発での事故が日本を混乱に巻き込む様子が描かれている。安全なはずの原発がテロによって電源を喪失し、何より周辺住民の避難計画のずさんさが被害を拡大するという筋立てだ。
PAZとはPrecautionary Action Zoneの略で予防的防護措置を準備する区域、原発施設から概ね半径5kmを意味する。UPZUrgent Protective action Planning Zoneの略で緊急防護措置を準備する区域、原発施設から概ね半径30kmを意味し、島根原発から見ると出雲市の中心部は十分その中に含まれる。帰省して何人かにこの言葉を知っているか尋ねたが、知っている人は一人もいなかった。出雲市の人達はもし島根原発に万が一の事が起きた時の腹積もりは出来ているのか。
原発の再稼働に当たって、原発施設そのものの安全性を確認するのは当然の事として、万が一の事故の際の対策が十分な現実性をもって用意されていないといけないはずだが、それは大丈夫だろうか。周辺住民の殆どが用語についてすら知らない状況を見ると「東京ブラックアウト」の想定をあながち否定できない。
この筆者は多分に世の中を斜めに見ている感じで、この本の中でカベノミクスを推進する加部総理については「大学受験や国家公務員試験の洗礼を受けたことのない四世の加部が」とか「政治家四世の血筋で、父や祖父に比べて勉強の出来が悪く、その劣等感の裏返しとして、周辺諸国に必要以上に虚勢を張る夜郎自大的な総理にとっては」と言った調子で語られる。
原発対策の実態が周辺住民の安全を十分考慮したものである事を願うばかりだ。