2015年6月23日火曜日

名所続き

東京は上野にある東京都美術館で大英博物館展が開催されている。その中の展示の一つに「インダス文明では大きな遺構や遺跡が発見されていないことから比較的民主的な社会であったと思われる」というような記述があった。当コラム407回で言いたかった事はまさにこの事だ。
現在観光名所となっている施設の多くはかつて時の権力者や金持ちが民衆から搾取した富を原資にして作られたものだ。北京の北西にある頤和園は西太后が贅の限りを尽くしたもので、本来なら軍備に回すべき予算を流用して作らせたと言われる。お陰で李鴻章は満足な海軍を構成できず日清戦争に敗れたとか。百年後にそれが観光資源となって国に富をもたらす事になろうとはその時想像もしなかっただろうが。
これと逆の事を思ったのが秋田での体験だった。能代での仕事が入ったのを奇貨として秋田を観光しようとして早めに入った一日の長かったこと。久保田城として知られるかつての佐竹氏の居城はそこに立てられた説明書きによると「石垣も天守閣もない城として特徴がある」との事。石垣も天守閣もない城とはまるで黒髪もつぶらな瞳もない乙女みたいではないか。観光案内を見たら旧金子家住宅というのがあったので行ってみた。江戸時代の豪商の住宅だが、酒田の本間家は言うに及ばず出雲地方に残る豪農屋敷よりも規模が小さい。赤れんが郷土館はいささか権威を感じさせるものだったが、これは旧秋田銀行本店で明治以降のものだ。
思ったより時間を潰せない一日、秋田市内をぶらついて思ったのは、この地を支配した人が民衆を搾取しなかったのだなあ、という事だ。竿燈祭りは搾取に苦しむことなく生を謳歌する民衆の象徴だ。秋田県知事がかつての領主佐竹氏の末裔である事とそれは関係ないだろうが。

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