2015年9月22日火曜日

「が」の氾濫

最近テレビや新聞の見出しでの「が」の氾濫は目に余る。しかもその多くが用法を誤っている。
例えば「上海臨時政府庁舎が一般公開」、しばらく前には「ムバラク大統領の息子が解放」なども。皆様はこれをどう読まれるか。私には最初の例で言えば「上海臨時政府庁舎というのが既存であって、そこが何かの資料を一般公開した」と聞えるし、二番目の例では「ムバラク大統領の息子が何かの権限を持っていて誰かを解放した」としか理解できない。実際は二つの例とも最後に「された」を省略した表現なのだ。
そもそも日本語には受身形はあまり似合わない。百人一首を調べてみたが受身形は一つもない。「衣干すてふ天の香具山」という歌も現代語訳では「衣が干されている」と受身で紹介されるが元の歌は能動形だ。受動形で言いたいのなら語尾まで省略せずに言うべきだし、むしろ無人称の主語を想定して能動形で言う方が自然な日本語になる。本来なら「上海臨時政府庁舎を一般公開」とか「ムバラク大統領の息子、解放さる」と言うべきところだろう。
そもそも「が」で主格を表す表現はつい最近の事ではないか。百人一首を調べたが、主格が「が」で表現されている歌は一つもない。そもそも主格を明示しない歌が多いが、はっきり分かるものでは「は」が一番多く十九首あった。俵万智の歌集には時々主格の「が」が出てくる。広辞苑で「が」を調べると大きく分けて格助詞、接続助詞、終助詞とあって、格助詞の中でも主格を表す例は五番目に紹介してあるに過ぎない。
日本語は助詞の使い方で細かなニュアンスを伝える言語で、外国人が日本語を学ぶ際にも「てにをは」が難しいなどと言う。最近の「が」の氾濫は「てにをは」に選ばれなかった「が」の反乱の様に見える。

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