2015年9月8日火曜日

エンブレム?

佐野氏の作品をめぐっての醜聞は海外でも話題になっているようだ。日本人として恥ずかしい限りだが、海外メディアの報じるところを見るといずれもが「オリンピックロゴ」という言い方をしている。エンブレムなどと勿体をつけた言い方をしているのは日本だけなのだろうか。
ともかく、今回の騒動では透明性が問題だとか責任の所在が問題だ、などとの議論があるが本当にそうだろうか。今回の問題の本質は要するにデザイナーに能力と倫理感が欠落していた事ではないか。そのどちらでもあればこれほど大きな騒動にはならなかったのではないかと思われる。
倫理感の欠如を示すのは他者のコピーライトが明記してある写真を無断借用した事だ。こういう場合に使うべきはパブリック・ドメイン(公有と訳されるようだ)と呼ばれる著作権フリーの素材のはずで、どうしてもあの写真が使いたかったなら、せめてコピーライトを明示して「内輪の審査段階だからこの写真を使いますが公にする際には著作権者に了解を取ります。」などと断りを入れるべきだったろう。デザイナーとして一番神経を使うべき局面だったはずなのに。
能力の欠如を思うのは盗作を疑われる似た作品が沢山ある中、いずれも原デザインを超える創意が見えない事だ。太田市美術館図書館のロゴマークなど、原デザインは円の大きさと直線の長さがバランス良くデザインされているのに佐野作品はどうにもアンバランスだ。Bの文字などひどく窮屈そうで可哀相なくらい。

他の作品からインスピレーションを得たとして、自分なりの創意を加える能力がないといけない。極端な話、前回オリンピックの亀倉雄策の作品は考えようによっては完全な日の丸のパクリだが、誰もそれを批難しないのは作者の創意が強く感じられるからに他ならない。

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