2015年12月29日火曜日

今年の一番

今年読んだ中で一番面白かった本。「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎・大澤真幸著 講談社現代新書。
某古本チェーン店の百円均一の棚で見つけ、かつて話題になった記憶もあって買い、しばらく積読状態だったが、読み始めるとこれが面白い。一神教についてこれほど明快に論理的に書かれると読んでいて気持ちが良い。「祈りとはGODとの不断のコミュニケーションだ」とか「日本は先進国の中で唯一いまだに多神教を信じている幸運な国だ」などハッとさせられる文章も出て来て、傍線を引いたり気の付いた事をメモ書きしたり、読みながら鉛筆が手離せない。
今年観た中で一番面白かった映画。「マダム・イン・ニューヨーク」ガウリ・シンディ監督シュリデヴィ主演2012年インド
インド映画と言えば「踊るマハラジャ」や「スラムドッグ・ミリオネア」を思い出すが、この映画はそれらを凌駕する。なんと言っても主演女優の美しさ。主演女優の容姿は映画の成否を決める。「めぐり逢い」のデボラ・カーにしろ、「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンにしろ、あの美貌があればこその作品だと思う。
映画の内容は、英語を満足に話せないインド人女性がニューヨークに住む姪の結婚式に出席するため家族を残して一人渡米し引き起こす様々な出来事。言葉も出来ない純粋無垢な田舎者の女性が悪意の渦巻く大都会を一人歩いて大丈夫かとハラハラさせられるし、偶然出会った恋の行方にもハラハラさせられる。
インド映画お決まりのパターンで最後は踊りになるがその流れも自然で、エンディングでは色んな想いが混じったホロリとした気持ちを味わえる。そして人に接するときには誠意と敬意を忘れてはいけないよと諭してくれる。
では、皆様良いお年をお迎え下さい。

2015年12月22日火曜日

米大統領選

アメリカの大統領選挙が佳境を迎えつつある。民主党はどうやら候補者が決まったかのようだが、共和党はまだまだ一波乱も二波乱もあるだろう。候補者の顔ぶれを見て日本との政治の仕組みの違いをしみじみと感じる。
手元にあるのは今年九月の段階での候補者リストだが、その殆どが州知事か上院議員(元も含む)だ。実業家や学者はいるが下院議員は一人もいない。日本とアメリカの議会の仕組みを単純に比較する事はできないが、議員の選ばれ方から考えると上院は日本の参議院に、下院は衆議院に相当すると思われる。日本では政治のトップに立つ人はまず間違いなく衆議院から出るのだが、この違いは何だろう。
アメリカの政治について詳しく勉強した訳ではないが、付け刃的にネットで調べたところによると、上院は州の代表的な存在で主に外交など国家としての振る舞いに関しての役割を担い、下院は輿論に敏感な人民の院として予算など国内の問題に関しての役割を担っているようだ。だとすれば国を代表する大統領にはやはり上院の議員の方が向いているのだろう。
日本の場合民衆が政治家に期待しているのが主に地元への利益還元であったりするので、下院的な役割が重視されるというのは考えすぎだろうか。
州知事が大統領へのステップとして重要な地位を占めているのも興味深い。日本で県知事が総理大臣になったのは細川さんくらいのものか。考えてみれば明治維新の政府は鹿児島県と山口県の県政府が中心となって国全体を治めた構図になっている。地方自治での経験が役立ったことだろう。その点民主党の失敗は実際に政治の舵取りをした経験がなかった事が原因と思われる。自民党に替わり得る勢力を目指す野党の皆さんには一度地方自治を経験してみるのも良いのではないだろうか。

2015年12月15日火曜日

四ツ下がり

先週の土曜日曜は生憎の雨だったが月曜夕方には眉つきを眺めた方もいらしたのでは。もし四ツ下がりに眉月を見つけたら、それはノーベル賞ものの大発見となるでしょう。
四ツ下がりとは現代でいうと何時頃になるか。江戸時代の時刻の表し方は「暮れ六ツ時」というように数字で言う場合と、「子(ネ)の刻」というように十二支で言う場合とがある。「草木も眠る丑三ツ時」の「三ツ」は丑の刻を四等分した三番目という意味で、暮れ六ツという時の数字とは意味あいが違う。
現在は一日を二十四等分した時間を一時間としているが、江戸時代は一日を十二に分け、それを一刻(いっとき)としていた。歴史小説に出てくる一刻は今の約二時間にあたり、半刻が約一時間だという事は頭に入れておいて損はない。(ここで約とわざわざ断る理由は後程)
現代の真夜中十二時頃を子の刻として順次十二支を割り当てる呼び方が一つの方法。丑の刻は夜中の一時から三時頃に相当する。
数字で表す場合は真夜中の十二時を九ツとして順次八ツ七ツと下って、午前十時頃が四ツとなり、正午をまた九ツとして午後十時頃の夜四ツになって行く。現代人には違和感のある数え方だが、易の考えによるのだそうだ。
さて四ツ下がりだが、今で言う夜九時頃から十一時頃までの約二時間に相当する。現代の時刻表記とピタリ一致しないのは当時不定時法が使われていたからだ。つまり日出、日没を基準に時刻を割り当て、夏の昼の一刻は冬の昼の一刻より長いという仕組みだ。同じ四ツと言っても夏と冬とで時刻が違う。ある資料によると夏の四ツ下がりは23時頃、冬は22時半頃に相当するらしい。眉月はとっくに沈んでいる。
「お江戸日本橋七ツ立ち」というと夏なら朝の二時半、冬でも朝四時だ。高輪まで歩いた頃夜が明ける。昔の人は早起きだった。

2015年12月8日火曜日

眉月

浅田次郎氏には一年前にも御登場願った。その時は繁体字と簡体字に関する氏の見解に疑問を持ったのだが、今回は「憑神」という作品に表れた「南天に眉月のかかった暗い晩である」という記述に疑問を呈したい。これのどこがおかしいか、お分かり頂けるだろうか。
この作家は饒舌を身上に修飾の多い人だが上記の描写はちょっと筆がすべった。しばらく読み進むと「時刻は同じ四ツ下がりで、蒸し空には眉月がかかっていた」との記述が表れ、どうやら作者は天文が全く苦手らしい事が分かる。
地球は太陽の周りを、月は地球の周りを回っているが、月が東から昇って西に沈むのは地球の自転による現象だ。一方で月が満ち欠けするのは太陽と月と地球の位置関係による。
満月の時は太陽、地球、月の順にほぼ一直線になって、月は太陽光を満身に受けて光り、地球の自転に伴い太陽が西に沈む頃、東の空に昇ってくるように見える。まさに「菜の花や月は東に日は西に」の状態だ。それから一日当たり約十二度月は東に移動し、十五日後百八十度回り新月になると、太陽、月、地球という位置関係になり月は太陽の光が逆光になって見えないが太陽と一緒に東の空から西に移動している。
さて眉月はどうか。眉に似た月というからには月齢が二か三と見るべきだろう。その時月は太陽から二三十度程度東の位置にいる。すると月は日の出から二時間程度で東の空から昇り、日中は太陽の逆光で見えないが日が沈む頃から西の空に姿を現し、日が沈んで二時間もせずに月も沈んでしまう。だから真夜中に南天に眉月が見えるなんて事は天地がひっくり返らない限りあり得ない。無論四ツ下がりにも。
次の土曜日曜は晴れていれば夕方西の空に眉月が見えるはず。たまにはゆっくり夜空を見上げては如何。

2015年12月1日火曜日

マイナンバー

マイナンバーが我が家にもやって来た。早速通知カード部分を切り離し、クレジットカード等と一緒に鍵のかかるキャビネットに保管した。マイナンバーカードの申請が任意であるのはシステムの運用方法としてちょっと不思議な気がする。顔写真のないカードで個人認証ができるのだろうか。番号を見せるだけなら十二桁の番号を記憶して通知するのとなんら変わらず、なりすましを防止する事はできないと思うのだが、さてどうか。二年後には専用のサイトが開設され自分の番号の利用履歴を確認できるようになるとか。そうなるとまたそこにアクセスするパスワードが必要になってくるのだろう。
マイナンバーに暗証番号にパスワードにと暗号だらけの世の中だ。ネットは危険だが便利、その便利さを享受するための私なりの工夫を御紹介したい。銀行のネット取引や通信販売等に使っている暗証番号やパスワードの類を先日調べたらその数が百以上あった。大事をとってそれらに全部違う記号を割り当てている。当然全部は覚え切れないからメモに残しておくことになる。メモすると言っても他人が見ても分からないようにパスワードそのままを記すのでなく、たとえばMと書いて母の誕生日の四桁の数字を表すというような、自分は絶対忘れないが他人にはチンプンカンプンなカラクリを仕掛けておくのだ。
もちろんパソコンにパスワードを記憶させるような事はしない。パソコンの中身はいつも外から覗かれていると思った方が良い。面倒でも毎回入力する設定にしておき、さらに大事な取引をするときは最初はわざと違うパスワードを入力して、相手が「違いますよ」と言って初めて正式なものを入力する。フィッシング被害の防止策だ。
性悪説を前提としたネット社会での防衛手段の一例です。