2015年12月15日火曜日

四ツ下がり

先週の土曜日曜は生憎の雨だったが月曜夕方には眉つきを眺めた方もいらしたのでは。もし四ツ下がりに眉月を見つけたら、それはノーベル賞ものの大発見となるでしょう。
四ツ下がりとは現代でいうと何時頃になるか。江戸時代の時刻の表し方は「暮れ六ツ時」というように数字で言う場合と、「子(ネ)の刻」というように十二支で言う場合とがある。「草木も眠る丑三ツ時」の「三ツ」は丑の刻を四等分した三番目という意味で、暮れ六ツという時の数字とは意味あいが違う。
現在は一日を二十四等分した時間を一時間としているが、江戸時代は一日を十二に分け、それを一刻(いっとき)としていた。歴史小説に出てくる一刻は今の約二時間にあたり、半刻が約一時間だという事は頭に入れておいて損はない。(ここで約とわざわざ断る理由は後程)
現代の真夜中十二時頃を子の刻として順次十二支を割り当てる呼び方が一つの方法。丑の刻は夜中の一時から三時頃に相当する。
数字で表す場合は真夜中の十二時を九ツとして順次八ツ七ツと下って、午前十時頃が四ツとなり、正午をまた九ツとして午後十時頃の夜四ツになって行く。現代人には違和感のある数え方だが、易の考えによるのだそうだ。
さて四ツ下がりだが、今で言う夜九時頃から十一時頃までの約二時間に相当する。現代の時刻表記とピタリ一致しないのは当時不定時法が使われていたからだ。つまり日出、日没を基準に時刻を割り当て、夏の昼の一刻は冬の昼の一刻より長いという仕組みだ。同じ四ツと言っても夏と冬とで時刻が違う。ある資料によると夏の四ツ下がりは23時頃、冬は22時半頃に相当するらしい。眉月はとっくに沈んでいる。
「お江戸日本橋七ツ立ち」というと夏なら朝の二時半、冬でも朝四時だ。高輪まで歩いた頃夜が明ける。昔の人は早起きだった。

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