2016年3月29日火曜日

地図と医者

イ・セドル九段が人工知能に完敗したのは、ある程度予測できた事とは言え矢張り衝撃的だった。この結果を見て私が思ったのは、カーナビの出現によって地図が役割を失ったように近い将来医者が役割(の大部分)を失うだろうという事だった。
イ・セドル九段を破ったアルファGOの最も画期的なところはコンピュータが自分で知識を作り出して行くところだ。
私が人工知能と本格的に向き合ったのは三十五年前スタンフォード大学への留学を命じられた時だ。当時人工知能は主にエキスパートシステムという名前で呼ばれ、専門家(エキスパート)の持つ知識をコンピュータに移植しようと言う試みがなされていた。私は「人工知能を施設計画に活かす方法を勉強して来い」との使命でエキスパートシステムのメッカであるスタンフォード大学へ赴いた。私が教えを受けたのはジョン・クンツと言い、彼はエキスパートシステムの父と言われたファイゲンバウムの愛弟子だった。ジョンに連れられてファイゲンバウムと直に話した経験は私の数少ない誇りとなっている。
当初コンピュータに移植すべき専門知識として選ばれたのは有機化合物の分析や病気の診断などだった。特に伝染性の血液疾患を診断するMYCINは有名で、当時の稚拙なコンピュータの能力であっても65%の正しさで診断結果を出し、並みの医者より好成績だった。
その頃は「If Thenルール」という形で知識を表現し、人間が機械に知識を教え込まなければいけなかった。しかしアルファGOに代表されるように最近のシステムは沢山のサンプルから特徴量を自分で見つけ出し、そこから知識を生み出して行く。沢山の症例を提示して病気の診断をさせる事は恐らく碁を打つより簡単だ。紙面が尽きた。続きは次号に。

2016年3月22日火曜日

民進党

「A氏の××党を中心とする□□体制に反対するという点以外に共通点は乏しく、B氏・C氏らの改憲派とD氏・E氏の護憲派の対立に代表されるように様々な内部対立を抱えていた。そのため路線は揺れ動き、F氏らのグループとの連携を試みるも首班候補を巡って決裂し(以下略)」
ウィキペディアの「かつて存在した日本の政党」というカテゴリーの中でみつけた、ある政党に関する記述である。その名は改進党。昭和二十七年二月に国民民主党、新政クラブ、農民協同党が合同して結成され、約二年半後与党内のF氏(鳩山一郎)のグループと合流して日本民主党を作る事によって改進党は解散した。
歴史は繰り返すのだろうか。
民進党か立憲民主党かの世論調査で、どちらが行った調査も支持の合計が半分に満たない。民主党の調査では民進党が24.0%、立憲民主党が18.7%で合計42.7%。維新の党の調査では25.9%と20.9%で合計46.8%。他にどんな選択肢があったか定かではないが、「どっちでもいい」が多くの人の本音ではなかったかと推察する。私が当事者なら恥ずかしくて発表をためらっただろう。
一九九三年細川政権の成立で五十五年体制が崩壊し、新党さきがけ、新生党、新党みらい、新進党、太陽党、新党友愛、自由党、保守党、国民新党、みんなの党、たちあがれ日本、太陽の党、などが出来ては消えた。その存続期間は平均で3.26年。一番長いのが新党さきがけの8.58年。(ただし、鳩山・菅らの離脱で実質的に終わっているとすれば3.28年)最短は新党友愛の0.32年。民進党がこの平均以上に存続してくれればいいのだが。
(冒頭の伏せ文字は以下の通り。A氏=吉田茂、××党=自由党、□□体制=戦後体制、B氏・C氏=重光・大麻、D氏・E氏=三木・松村)

2016年3月15日火曜日

当事者意識

当事者意識に欠けた言動に接すると一瞬眼や耳を疑い、次にとてもしらけた気持ちになる。
広島の中学校で起きた生徒の非行履歴の誤認問題。記録された生徒の名前が間違っている事が指摘されながら、誰がデータの修正を行うかの役割分担が不明確でそのまま放置されたとか。それで一人の生徒の命がなくなったとすれば、これは一種の業務上過失致死と言っていいのではないか。関係する何人かの教員の内、一人でも生徒の身になって親身に自分の問題として対処する気持ちがあれば防げたはずだ。教員同士では普段一体どういう会話をしているのだろう。誤記録について情報が流通するコミュニティーはなかったのか。担当の教員は教え子の過去について周りの同僚に相談する気になれなかったのか。そうすれば誤記録に気付く機会もあったはずだ。
高浜原発停止命令に関しては、事故後の避難計画に問題があるのでは、との指摘に対して原子力規制委員会の田中委員長が「計画を作るのは自治体の役割」と発言したそうだ。自分の役割は基準を作る事であって、それは世界最高水準だからそれ以外は知らない、とでも言うのだろうか。そもそも本当に最高水準にあるのかどうか私は疑問に思っているが(三七四回「原発と大本営」参照)、仮にそうであったとしても原発の安全性は万が一の時の住民の安全な避難が担保されて初めて達成されるものだ。関係者全員がその大きな目標に向かって自分の持ち場以外の場所にも抜かりがないか目を光らせていないと、原発事故による被害は避けられないと思う。
自分の役割以外の事は知りません、などと言って幸せになった人は一人もいない。役割の先にある真の目的に向かって為すべき事を問うて初めて責任を全うできる。歴史を見れば誰でもわかるはずだ。

2016年3月8日火曜日

往診

木曜未明の事、ベッドから立ち上がろうとして腰に激痛が走った。背筋が痙攣したように痛む。スポーツの最中に脚がつった時の痛みに似ている。とにかく立ち上がることが出来ない。幸い横になっている分には腰に多少の違和感はあるものの痛みは激しくないので、朝になるのを待って枕元の携帯でその日の予定のキャンセルとお詫びを入れ、さてどうやって病院へ行ったものか思案した。ともかく一階まで這って降りて救急車を呼ぶしかないか。だけどパジャマ姿で運び出されるのは嫌だし。かといって着替えは到底出来ない。その時頭をかすめたのが往診という言葉だった。
こんな時往診してくれるお医者さんがいたらどんなに嬉しい事だろう。そもそも病院へ行く、というのは病院へ行くだけの体力のある人にしか出来ない事だ。体力の弱った患者が家にじっとしていて、元気なお医者さんが移動して見て回る往診制度は実に理に適ったものではないか。事実私が幼少の頃おばあさんが普段は使わない客間用の南の座敷に寝かされて往診を受けていたのを思い出す。あの頃は患者の数に比べてお医者さんの数が余っていたとでも言うのだろうか?
経済合理性から考えれば、治療という価値の高い機能を効率良く稼動させるため医師がじっとしていて患者がくるくる回転した方が良いに決まっている。体力がなくて通院できない人には入院という制度が用意されている、というのが現代の医療システムの基本か。

救急車は脳や心臓の疾患で一刻を争う人のためにあって、服装を気にする余裕のある人が利用するものではないとは思うが、それにしても救急車に医師が同乗し、往診的な応急処置を施してくれたらどんなにいいだろう。翌日痛みがいくらか治まり、必要性が減った治療を受けに通院した私はそう思った。

2016年3月1日火曜日

抽選

抽選とは本来「抽籤」と書いて文字通り「籤を抽く」事を意味する。(「抽」は穴から手でひきぬく事を意味する字)だが「籤」が当用漢字に採用されなかったため、音が同じ「選」を代用した当て字を作った。その事情をNHKの松江放送局は御存知ないのだろうか。
二月二十一日松江市総合体育館で「松岡修造のテニスパーク」が催された。中には「修造にチャレンジ」の企画があって、当日正午までに申し込めば20名が「抽選」で選ばれて松岡修造と一球打ち合えるのだと言う。前日のテレビでそれを知った私は妹と約束していた昼食会をキャンセルして松江に向かった。申し込み用紙に住所、氏名、年齢、性別を書いて半券を貰う。当選発表を見て驚いた。
人選結果を見ると明らかに主催者側の意図が垣間見える。小学生が半分、残りは中高生と四十代までの成人が半分づつ。もし無作為に抽選していたらこんなに綺麗な構成になるはずがない。
確かに主催者としたら出た人に怪我でもされたら困るから六十過ぎの老人を選びたくないのは分かる。人選にあたって抽選が最適な方法でない事も分かる。新入社員を選ぶのに抽選する会社はないだろう。応募者の属性を詳しく吟味し自分の思いに適った人を選ぶはずだ。そうした手続きは「選考」と言う。これも本来は「銓衡」と書くべきだが当用漢字にないための当て字である。「銓」は分銅、「衡」は量り竿を意味し、あれこれ比べて最適のものを選ぶ事を表す。NHKは応募要項にはこの言葉を使うべきだった。
抽選というからには応募用紙を全部箱の中に入れて、衆目の集まるなかで無作為に当たり籤を抽いて欲しかった。年齢を基準にした考慮した選考が行われるのが分かっていれば、約束をドタキャンして妹に借りを作る必要はなかったのに。