「A氏の××党を中心とする□□体制に反対するという点以外に共通点は乏しく、B氏・C氏らの改憲派とD氏・E氏の護憲派の対立に代表されるように様々な内部対立を抱えていた。そのため路線は揺れ動き、F氏らのグループとの連携を試みるも首班候補を巡って決裂し(以下略)」
ウィキペディアの「かつて存在した日本の政党」というカテゴリーの中でみつけた、ある政党に関する記述である。その名は改進党。昭和二十七年二月に国民民主党、新政クラブ、農民協同党が合同して結成され、約二年半後与党内のF氏(鳩山一郎)のグループと合流して日本民主党を作る事によって改進党は解散した。
歴史は繰り返すのだろうか。
民進党か立憲民主党かの世論調査で、どちらが行った調査も支持の合計が半分に満たない。民主党の調査では民進党が24.0%、立憲民主党が18.7%で合計42.7%。維新の党の調査では25.9%と20.9%で合計46.8%。他にどんな選択肢があったか定かではないが、「どっちでもいい」が多くの人の本音ではなかったかと推察する。私が当事者なら恥ずかしくて発表をためらっただろう。
一九九三年細川政権の成立で五十五年体制が崩壊し、新党さきがけ、新生党、新党みらい、新進党、太陽党、新党友愛、自由党、保守党、国民新党、みんなの党、たちあがれ日本、太陽の党、などが出来ては消えた。その存続期間は平均で3.26年。一番長いのが新党さきがけの8.58年。(ただし、鳩山・菅らの離脱で実質的に終わっているとすれば3.28年)最短は新党友愛の0.32年。民進党がこの平均以上に存続してくれればいいのだが。
(冒頭の伏せ文字は以下の通り。A氏=吉田茂、××党=自由党、□□体制=戦後体制、B氏・C氏=重光・大麻、D氏・E氏=三木・松村)
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