舛添さんに関する報道を見ていて二つの事を思った。一つは「それをお金で買いますか」という本、もう一つは維新三傑の西郷さんだ。
「それをお金で買いますか」は白熱教室で一世を風靡したマイケル・サンデルの著で「市場主義の限界」という副題がついている。市場とは売り手と買い手が合意のうえで物やサービスをお金と交換し、双方がメリットを得ている、それのどこがいけないんだという市場主義に対して、やっぱりどこかおかしいんじゃないのと反論する内容は実に面白い。東京五輪の招致を巡る問題もいつか考えてみたい。
お金は基本的には誰もが欲しがるものだが、お金の支払いがマイナスの効果をもたらすケースもある。例えば親戚の人が自宅に訪れた時に御馳走をふるまったとする。とてもおいしかったと言って、親戚の人が御礼としてお金を支払おうとしたらどうか。おそらく多くの人が怒り出すだろう。だが昨今の報道を見ているとひょっとして舛添さんなら喜んで受け取るかも知れない、そう思ったのだった。
都知事としての外遊の豪華さに関しては西郷さんとの対比を思った。明治維新を成し遂げて、参議となり、仲間が料亭から取り寄せた豪華な昼食を取るなかで、西郷さんだけは自宅から持ってきた大きな握り飯を食べていたという逸話がある。権威をかさにきた贅沢は西郷さんの対極にある。
お金の限界は愛情を越えられないところにあると思う。友情はお金では買えないし、誕生祝にお金はふさわしくない。愛情に接することのない人生はお金至上主義の感覚を生むのだろうか?市場主義ならぬお金至上主義か。
西郷さんが昨今の報道を聞いたら、きっと憐れみに充ちた眼差しで舛添さんを見てこうつぶやくに違いない。「可哀相になあ」
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