来る五月三日が新憲法の施行から七十年の節目となる事を記念して、国立公文書館では「誕生日本国憲法」と題して当時の資料を展示する特別展が開かれている。幣原内閣が憲法問題調査委員会を設置してから、GHQとのやり取り、国会審議を経て発布、施行、広報に至る様々な資料が展示されていて面白かった。
中でも白洲次郎がホイットニーに送った書簡に目が止まった。日本側の試案が中途半端な事に業を煮やしたGHQに対して、白洲が日本側の事情を説明するために送ったものらしい。日付は1946年2月15日。2月1日に毎日新聞が「政府試案」をスクープして報道し、それを見たマッカーサーがそれでは駄目だとGHQ民政局に三原則を示し、それを基に民政局が作成した憲法草案が13日に日本側に手交される。それを受けての書簡だが、白洲は手紙の下に凸凹の山を十個程描き「貴方達は飛行機で一足飛びに目的地に行けるかも知れないが、日本はジープで地道に行くしかないんだ」という様な絵を描いている。私が興味を持ったのは山を飛び越えて引かれた矢印に「your way」とあるのは良いとしても、山の下をくねくねしている矢印に「their way」と記されていた事だ。白洲にとって日本政府は「our」ではなかったのだろうか。
公文書館を出ると隣に国立近代美術館がある。そこでは楽茶碗の展覧会をやっていた。初代長次郎から始まって十五代吉左衛門、十六代篤人に至るまでの作品が展示してある。吉左衛門も良いかも知れないがやっぱり楽茶碗は寡黙さが魅力だよなあ、などと思いながら常設展示場へ行くと藤田嗣治の戦争画があった。アッツ島の玉砕や、サイパン陥落の様子を描いたもの。陸軍の要請で描いたとの事だが、私には反戦の絵にしか見えなかった。
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