2017年8月22日火曜日

平等と公平

トランプ大統領の短慮な発言から人種差別が話題になっている。どう頑張っても人種差別を正当化する理屈を見つけるのは困難だろう。ところで男女平等の問題はどうだろうか。
先日ある女性活動家が男女平等を訴えるプレゼンテーションを行うのを聞いた。彼女はアメリカのある州の一定以上の規模の会社の社長を調べて、ジョンという名の社長が女性社長より多いと嘆いていた。
確かに女性の社会進出は望ましい事であるのは間違いないが、社長の数で男女平等を問うのは如何なものか。この場合、平等というより公平という言葉の方が適切のような気がする。女性であるというだけで不公平な扱いを受けてはならない。同じ仕事をしているのに女性だから給与を減らすなど言語道断。
しかし男女には生物学的な違いが厳然としてあるのだから、異なる扱いの方が公平だという事もある。テニスをはじめスポーツの殆どが男女別に争われるのはその一つ。かつて世界一だったジョン・マッケンローが「セレナは素晴らしい選手だが男性の中では七百位くらい」と発言して物議をかもした。言わずもがなの暴言だが、男女平等だから同じ土俵で争うべきだという人はいないだろう。
さて平等、公平というと明治になって西洋からやって来た概念かと思っていたが意外と古い。日本国語大辞典によると平等は十三世紀の沙石集に「平等の慈悲をおこして孝養の懇志をはげまして衆生をすくいたすくべし」という用例が、公平は室町時代の文明本節用集に「君若為事公平則百姓皆歓悦也」という用例があるらしい。君主が公平に事を為せば、民衆は皆歓ぶという事か。日本にも昔から開明的な考えがあったのだ。

そう言えば江戸時代まで銭湯では男女の入り口が別れてなかったとか。男女平等を考えての事ではなかろうが。

0 件のコメント:

コメントを投稿