2018年5月8日火曜日

三代目

「売家と唐様で書く三代目」という言葉がある。韓国の三代目はどんな字で書くのだろうか。
それにしても韓国の所謂財閥三代目の所業には開いた口が塞がらない。一部の現象を見てそれが全体にも通じるものだと思うのは私の最も嫌う思考パターンだが、次々に報じられるスキャンダルを見ていると、かの国全体を覆う病なのではないかと思えて来る。
日本の大金持ちの三代目にも勿論ああいった横暴な人もいただろうが、落語などで描かれるのは、生活力がなくて、遊び好きで、遊女にも簡単に騙されるようなお人よしで、しまいには親から貰った財産を売り飛ばす羽目になるが、それでも洒落た字を書くだけの教養を身につけている。韓国の三代目の態度からは、教養の香りがしないのは何故だろう。
日韓の三代目の違いは文化によるものなのか教育によるものなのか。
韓国の文化は「恨」の文化だと聞いた事がある。ナッツ姫が謝罪のために報道陣の前に出た時の表情はまさにそれを感じた。素直に反省しているというより、目を下から上に向けて、何かを内に秘めているような、そんな感じがした。「恨」と言えば、前大統領に対する社会の糾弾もそれに関係しているように思える。
日本には「恥」の文化があって、それが権力者の行動に一定の縛りを与えているように思っていたが某事務次官の所業を見るとそれも危うくなってきた。所轄大臣は「セクハラは犯罪でない」と開き直っている。モラルの基準を「恥」から「法」へ一段下げようとでも言うのだろうか。
教育に関して言えば日本も韓国も儒教を道徳の基本にしてきた。孟子は「惻隠の心無きは、人に非ざる也」と言っている。惻隠の心があれば決してあのような恥ずべき行動に到らなくて済むはずなのに。

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