2018年9月4日火曜日

カラオケ

テレビの某クイズ番組で「カラオケ」は何の略かという問いに五十前後の出演者は二人とも答えられなかった。思い起こせばこの言葉は私が社会人となった頃、昭和五十年頃から一般的になったように記憶する。その黎明期に立ち会った者にとってそれが「空のオーケストラ」の略であるのは自明だが、その頃まだ小学生にもなるかならないかの人には難しかったようだ。
当時はカラオケ専門店もなく、その装置を備える事が飲み屋さんの集客手段でもあった。曲数も少なく、定番の小林旭や三橋美智也など毎回同じ唄を歌っていたものだ。今では曲数も飛躍的に増え、洋楽でも、懐メロでも何でも揃っている。私は多感な頃を思い出しながら三田明の「美しい十代」や安達明の「女学生」などを努めて歌うようにしている。
あるカラオケ仲間から昭和初期の唄を集めたCDをお借りした。それを聴いて当時の唄の斬新さに驚いた。「アラビアの唄」やディック・ミネの「ダイナ」など今聴いても新鮮だ。そんな中「もしも月給が上がったら」という面白い曲に出くわした。
昭和十二年の発売らしいが、当時の世相が分って面白い。「もしも月給が上がったら私はパラソル買いたいわ、僕は帽子と洋服だ」パラソル(日傘?)が女性の憧れで、男性の所望が帽子であってネクタイでないのが面白い。「お風呂場なんかもたてたいわ」ともあるからお風呂がないのは普通だった。
付随する解説を読むと「昭和初期の長い不況の間、給料は上がるどころか下げられた」とある。世界大恐慌から続く不況下で戦争の影が大きくなる中「ポータブルを買いましょう、二人でタンゴも踊れるね」とも歌っている。タンゴを踊るなんて、なんとモダンな夫婦なのだろう。二・二六事件や盧溝橋事件の頃の庶民の明るさに感心した。

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