2018年9月25日火曜日

本因坊

私の住む埼玉県幸手市は三人の本因坊を輩出し「囲碁のまち」を自称している。市内には第八世伯元、第九世察元、第十世烈元の三人の墓石が点在して残っている。それを訪ねてみて、そして驚いた。
市が発行するA3版の地図を片手に出掛けたのだが、なかなか目当ての墓石に行き着かない。そもそも当該史跡が近くに住む人すらよく知らないようなささやかなものなのだ。更に地図に示された場所と実際の場所とが微妙に違う。この地図を作った市の担当者は実際に現地を確認していないのではないか。墓石は道の左側にあるのにマークは右側にあったり、最寄の目印との相対的位置関係が違っていたり。小さな説明看板を頼りになんとかたどり着き、そこでまた驚く事になる。ちかく
本因坊と言えば当時の囲碁界では日本一の人だ。そんな人達だから、その墓石はさぞ立派なものだろうと想像する。ところが実際そこにあったのはまるで無縁仏のようにひっそりとしたものだった。実際九世察元の墓石は他の無縁仏たちと一緒に、墓仕舞いを待つかのように肩を寄せ合って満員電車の人混みのように立っていた。高さ五十センチほどの直方体の石に「本因坊上人之墓」と書かれてなければ見逃してしまうだろう。彼が生まれた間宮家は断絶してその家系を継ぐものはいないとの事だ。
それでもまだ彼は一人で一つの墓石だが、八世伯元と十世烈元は三~五人連名の中の一人として石に名前が刻まれているだけだった。いずれも生まれた家の個人墓地に「右から何番目」と注記がなければ分らないような小さな石に。
彼らは徳川吉宗、杉田玄白、円山応挙などと同時代の人だ。これらの人の史跡はもっとしっかりしているのではないか。囲碁への敬意の低さに戸惑いながら、石見にある本因坊道策の史跡を訪ねてみたくなった。

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