2018年10月2日火曜日

芸術


日本橋の三越本店では例年秋に日本伝統工芸展が開かれる。今年も十月一日まで開催されていた。ちなみに島根では十二月五日から二十五日まで県立美術館で開催される予定との事。
陶芸、染物、竹細工、彫金、螺鈿など細心の注意を払った緻密な手仕事の結果生まれた作品の静謐なたたずまいを見ていると頭の下がる思いがする。それに比べて一部の前衛芸術のなんと安易な事か。全ての前衛芸術がそうだとは思わないが、例えば全身に絵の具やペンキを塗って真っ白な壁に体ごとぶつかっていって、その時に出来る模様を作品だと称するようなものだったり、ペンキの入ったバケツをひっくり返して出来る模様を有難がったりするような、そんな製作風景を見ると、もっと伝統工芸を見習ったらどうかと言いたくなる。
芸術とは創作する側に才能や努力や一種の呻吟があって、鑑賞する側に審美眼や作品に対する敬意があって成立するのだと思う。伝統工芸を見ているとクラシック音楽を思い出す。創作・演奏する側の苦労が鑑賞する喜びを提供しているようだ。
その点ジャズは違う。ジャズの演奏会へ行って思うのはどう見ても聴いている側より演奏している側の方が楽しそうだと言う事だ。楽しみながらお金を取るなんて、ずるいじゃないかなんて思ってしまう。勿論、一定以上の技量があるからこそお金を払ってまで聴きに来る人がいるのだが。ジャズでは努力や呻吟は技量を高める練習の段階でなされて、最終の作品段階ではそれを感じさせないのが良いのだ。翻って伝統工芸では最終の作品は控え目で禁欲的だが、製作過程では作者は結構楽しんでいるのかも知れない。
なかなか上達しないジャズピアノの練習をしながら思った。楽しむって芸、染物、竹細工、彫金、螺鈿、景を見ると、もっと伝統工芸を見習なんと苦しい事なんだろうと。

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