2018年10月9日火曜日

言論の自由

新潮45の休刊(廃刊?)はヴォルテールの言葉を思い出させた。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。言論の自由を主張した言葉として知られている。
新潮45を直に読んだ訳ではないが、基本的には自分の意見を述べる事が制限を受けてはならないと考えている。言論が制限を受けるとすれば、例えば街宣車でがなり立てるような高圧的に相手の自由を侵害するものであったり、事実と異なる明らかな虚偽であったりする場合だろう。
ヘイトスピーチや下品な論評はある意味ストリーキングに似ていると思う。自制されるべきものであり、他人が制約するものではないという点において。現在街中を裸で歩き回るのは刑法で禁止されているが、それは見る人の中に判断能力の未熟な年端も行かない青少年がいて、彼等への悪影響を考慮しての事だろう。ヘイトスピーチも同じで、本人が回りの冷笑と失笑を覚悟で行う事なら他者への強制を伴わない限り許されても良いではないか。ある言論を過激だ、偏向している、として制限するのは読者が未熟で判断能力のない馬鹿だという前提に立っているようで、極めて不愉快だ。
虚偽は許せない。サンデー毎日の最新号でジャーナリストの江川紹子氏は「(杉田議員の)論文は、あたかもLGBT(性的少数者)の支援に多額の税金が充てられているかのように書かれています。」と言っている。杉田議員がウソを書いているならそれは問題だ。だが、江川氏の「関連予算は全体の0.01%にすぎません。」という主張もどうか。金額を書かないのは少なく思わせようと真実をぼかしているようにも見える。
勿論杉田議員を支持している訳でなく、彼女の発言の自由を認めているだけだ。冷笑を交えて。

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