九日に行われた沖縄は翁長知事の県民葬での菅官房長官の弔辞にちょっと驚いた。「(沖縄の発展のために)尽くされて来られました。」と。非常な違和感を感じた。内容にではない、敬語の使い方にだ。「尽くして来られました」か「尽くされました」なら自然だが、二重に敬語を使うのはどこか変ではないか。
恐らくは官房長官側近の優秀な官僚、所謂特別に「頭が良い」と言われる人が原稿を書いたのだろう。こんな変な日本語を聞くと「頭が良い」とはどういう事なのだろうという疑問が湧く。
まあこれはちょっとしたケアレスミスなのかも知れないが、国会で苦し紛れの答弁を繰り返す官僚達の姿を見ていても、学校で良い成績を取っていた人が必ずしも「頭が良い」という訳ではないように思える。記憶力が良い事や計算が速い事も「頭が良い」事の一面ではあろうが、ぴったりした定義とは遠いようだ。
逆に「頭が良くない」と思えるケースを考えてみる。日馬富士の暴行事件以降貴乃花親方が取った行動はどちらかと言えば「頭が良くない」行動のように私には思えた。自分が求めている結果を得るために為すべき事と違う方向に走ったような。東京から北海道に行こうという時、西に向かう電車に乗ったような。アメフト暴行事件の後に日大関係者の取った行動も似たようなものだった。
頭の良さとは、事後を的確に予測し自分の望む物事を手にすべく行動できる能力ではないか。こういう行動を取ったら相手方にどういう印象を与え、広く世間の評判がどうなるか、そういう予測が出来て、的確な行動が取れること。太閤秀吉はその能力に長けていたように思える。学校の勉強を通じてそういう能力が身に付けばいいのだが、なかなかそうならない所が難しいところだ。
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