2019年4月16日火曜日

桜雑感


天候不順と言っていいのだろう、四月も中旬になろうという頃の真冬日で、押入れから慌てて防寒用のズボンを引っ張り出した。暑さ寒さも彼岸まで、の筈じゃなかったのか、と誰かに苦情の一つも言いたくなった。

三月初めの温かさで開花の早かった桜は散る時期を思案しているかのようである。参加者の日程調整の関係で四月八日に予定された花見の会に、桜が残っていようとは望外の幸運ではあった。気温が低い日が続くとかなり強い風が吹いても散らずに残っているのは不思議な事である。

桜の開花日は気象庁のお墨付きで決定され記録されているようだが、散った日というのは定義されていないのだろうか。標本木に咲いている花が五輪以下になった日をもって散花日ないし落花日などと定義しておけば、今年は開花日から落花日までの日数が一番長かった年になっただろう。

それにしても桜の開花や満開の日を決めるのにお上のご宣託を必要とするなんて、日本人らしいと言うかちょっと情けなくもあるが、それだけ民衆がお上を信頼している証なのだろう。少なくともどこかの発展途上国の独裁者のように無茶苦茶をするようなお上はいなかった。だから何かあるごとに「国がなんとかするべきだ」との議論が巻き起こる。国はいつも全能の正義の味方であるかのように。

まさか親が子を虐待するのを禁止する法律が出来ようとは思わなかった。勿論親の暴力行為を容認するつもりは毛頭ないが、そういう家庭内の事は法律でどうこうするようなものではないはずだ。

放っておけばいつも民は悪だくみを画策し、だから全知全能の国がしっかり監視指導しなければならない、なんて誰も思っていないとは思うが、国への期待が高すぎる世情を見るとちょっと不安にもなってくる。桜とは関係ない話だが。

0 件のコメント:

コメントを投稿