2020年1月28日火曜日

数え年


先日68回目の誕生日を迎えた。目出度く満六十八歳になった、という訳だ。昨今は年といえば満年齢を指すのが当り前のようになっているが、私が子供の頃大人達は必ず満か数えかと確認していたものだ。その頃は数え年というものが不思議でならなかった。その数え方でいくと、二歳と言っても生後数日の人もいれば生後一年半を過ぎた人だっていることになる。そんな数え方にどんな意味があるのか理解できなかったからだ。そして世の中の全てが西洋化して行く中で数え年は古い因習として忘れられようとしている。

「数え年」を広辞苑でひくと「生まれた年を一歳とし、以後正月になると一歳を加えて数える年齢」と書いてある。確かにその通りだが、この説明では本来の趣旨が伝わらないと思う。英語では何と言うのかと思って和英辞典で「数え年」をひいてみた。すると「英語圏では数え年のような数え方はしない」と御丁寧に解説がある。ならばと英英辞典で「age」を調べてみる。コリンズ・コビルト英英辞典には「ageとはその人が生きた年(years)の数である」と書いてある。えっ、これってまさに数え年の事ではないか!

数え年とはその人が何種類の年を経験したのかを表している。令和元年の十二月三十日に生まれた人はその時点で令和元年の空気を吸ったからまず一歳。そして令和二年の正月を迎えた段階で令和二年の空気を吸って二種類目の年を経験したのだから二歳、というわけだ。実に合理的ではないか。この方式で行けば年齢を聞いただけで生まれた年が分かる。
そして元号は今でも数え年だ。令和は去年の五月一日に生まれ、その時点で一歳。そして今年の正月まだ満年齢ではゼロ歳だが令和二年になった。元号の中に数え年の文化は生き残っている。

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