毎年八月十五日が近づくと戦争に関する映画やドキュメンタリーが放映される。戦争が如何に悲惨であるかを強調し、二度とあのような悲劇を繰り返さないようにという願いを込めて。しかし本当に再発を防ぐためには戦争が始まった当初多くの人が興奮、熱狂した事実を直視・反省し、偏狭なナショナリズムを諫める事の方がより重要ではないか。
兎に角当時の事を可能な限り客観的に見た事実に忠実な記録が見たい。「ドイツにヒトラーがいたとき」もそんな気持ちで読んだ。印象に残った箇所を一つだけご紹介する。筆者は戦後の東西ドイツの実態にも詳しい。「東ドイツの主導者たちは民衆を信頼する事が出来ないため、有刺鉄線を張り巡らした砦のような官邸に住み、外出するときには防弾ガラスで固めたリムジンに乗ってフルスピードで民衆の前を通り抜けたが、国民大衆の信頼と支持とを確信していたヒトラーはオープンカーで平気で民衆の中へ入って行った。」と書き、そして当時のドイツ人から「日本では天皇と国民の関係は父と子であると言われるのにどうして天皇が国民の中へ入っていくときあんな厳重な警備をしなければならないのか。」と問い詰められたと書く。ヒトラーは貧しい人々に寄り添い、国民から愛されていたのだ。
1939年11月27日のニューヨークタイムズにはプリンストン大学恒例の、存命中で最も偉大な人物を問う人気投票の結果が掲載され、二位アインシュタイン、三位チェンバレンを抑え一位はヒトラーだった。(「『ニューヨークタイムズ』が見た第二次世界大戦」による)
そんなヒトラーがあんな悲惨な事態を招いた事実から眼を背けてはならない。戦争を始めたのは当時のリーダーが悪者だったから、で済ましては次の悲劇を防げない。
0 件のコメント:
コメントを投稿