2021年3月16日火曜日

調査能力

 週刊文春の新しい号が出る度に国会があたふたする。その情報収集能力は敬服に値するが、他の組織(競争相手である他の週刊誌や本来そういう事を取り締まるべき公的組織など)はそれをどう思っているのだろう。

かつて森友学園や加計学園が世間を騒がせていた頃、文部省の元事務次官が怪しげな店に出入りしていた事が読売新聞の社会欄で報じられた事があった。もしあれが読売新聞の独自の調査網に引っかかった情報なら、入手時に即記事にする事も出来たはずで、あの時期に公表されたのは明らかに別の意図を持つ組織からのタレコミがあったものと推察される。当該元事務次官もあの記事が出るずっと前にその行動を注意されていたと言っているから、役所の要人ともなると常にその行動を対象にした監視網が張り巡らされていると思った方が良さそうだ。

週刊文春より強力と思われるその監視網が今回は働かなかったのか。ちゃんと働いて情報は入手していても、それを切り札として使うかどうかは札を持っている側の裁量によるのだから、要するに政権運営に有利なように使われるだけだ、という事か。

しかしまあ、人の行動を監視する社会主義国家のような組織はあっても非公式なものだろうから、その調査能力を問題視する積りはないが、事業が法律に則ったものかどうかを審理する際の調査能力はしっかりして貰わないと困る。衛星放送事業に対する外資規制を定めた放送法の保護法益がどのようなものなのか詳しい事は知らないが、今回の事で国益が損なわれる事がなかったのか気に掛かる。全ての申請が嘘である可能性の元で業務をするのは大変で、何らかのチェックシステムがあるはずだと思うが、もし今回の見逃しが関係者の職務怠慢によるものなら厳格な処分を願うものである。

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