2021年7月13日火曜日

責任+α

 

ビートルズが来日した時の警備体制についてのドキュメント番組がNHKであった。滞在期間中ファンを含めた関係者に事故や怪我のないよう時には敢えて過剰とも思える要求をする統括指揮官の姿があった。彼は責任を一身に背負い「自分がやらなければ誰がやる」の気概で事に臨んだのだった。

今度の五輪でそのような気概を持っている人がいるのだろうか。ある人は「それは都の役割です」と言い、ある人は「それは組織委員会が考えている筈です」と言う。強いて最高責任者はと問えば総理大臣という事になろうが、その人も「主催者は私ではありません」と言っている。

感染防止についての地方自治体向け指針にしろ、空港検疫での対応にしろ、当り前の事が検討されていなかったのは、能力の問題というより責任感の問題で、「誰かがやっているだろう」と誰も自分の問題として捉えていなかったからだと推察する。

五輪のような大きなイベントでは誰かが一人で全責任を負い全般に目配りをするなんて出来ないかも知れない。それだからこそ自分の守備範囲外の事についても気の付いた事は互いに注意し合えるチームワークが必要なのだ。

以下は菅首相が記者会見で見せる眼差しからの類推。重たそうな上瞼の下から黒目が半分顔を覗かせ、鈍く光りながら座った目つきでこちらを睨む。権力者にあの眼で個別に睨まれたら生きた心地がしないだろう。小さな失敗をした時「お前は自分の仕事だけしてりゃいいんだ!」と怒鳴られでもしたら、出しゃばったマネをしようと思う人はいなくなる。皆が少しづつ出しゃばって補い合わないとこんな大きなイベントをこなす事は出来ないだろうと思うのに。

五輪は世界の人が心を一つにするのだそうだ。プロジェクトチームは心が一つになっているのだろうか。

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