2021年8月31日火曜日

傀儡政権

 

アフガニスタンが騒々しい。タリバンは悪だと教えられて来たが、民衆の支持がなければあんなに簡単に全土の制圧は出来ないだろうに。それともタリバンの悪さ以上に、政権の腐敗がひどかったのか。

大統領は国外へ逃亡した。一説には大量の財貨を持って逃げたとか。本人は後に着の身着のまま逃げたと釈明しているがどちらが本当か。政権幹部の自宅だったとされる部屋で豪華な猫脚のソファーに機関銃を抱えた髭面の兵士達が座っている画像が流れた。そのアンバランスもさることながら、その部屋を埋め尽くすベルサイユ宮殿かと見紛う贅沢な調度品は政権の腐敗ぶりを雄弁に物語っていた。アメリカからの援助資金が貧困にあえぐ国民をよそにこんな所に使われていたとは。ハノイに残るホー・チミンの執務室は質素で飾り気がなく整然としていたのに。

それにしてもアメリカがその国に民主主義を定着させようとして擁立する政権はどうしていつもこう腐敗するのだろう。南ベトナムのゴ・ジン・ジェム政権もひどかった。焼身自殺する仏教徒を人間バーベキューだと言い放つ無神経さを子供ながらに覚えている。韓国の李承晩だって、民衆から追われるようにして国外逃亡している。ゴ・ジン・ジェムも李承晩もキリスト教徒だったという理由で政権に据えられたそうだが、それにしてももっとまともな人がいなかったのか。

翻って日本はどうだろう。第二次大戦が終わって、アメリカに協力する人は戦犯としての訴追を免れたという。そうして作られた日本の政権は腐敗していなかったのか。それとも腐敗を見抜けない程日本のマスコミや国民の眼が曇っていたのか。日本だけが特別だったとしたらその背景は何なのか。アフガニスタンの今後がどうなるかという心配以上に気になって仕方がない。

2021年8月24日火曜日

ガッツポーズ

 白鵬は勝った後土俵上でガッツポーズを取っては顰蹙を買っている。何度注意されても直らないのは本人が「勝って喜びを表現するのが何故悪いのか」と思っているからだろう。

そもそもガッツポーズとは何か。それが和製英語らしいと言う予測は立つが、ネットには「喜びのポーズの1つ。 拳を握り、両手もしくは片手を掲げる事で表現され、スポーツなどで勝利した時や、良い成績を残した時によく見られる。」とあった。なるほどと思いながら大事な事が抜けているような気がした。

それは手首と肘の位置関係だ。ガッツポーズは、コブシを高く突き上げる時にしろ、腰のあたりで肘を曲げて小さく「よし!」と言う時にしろ、常に手首は肘より上にある。この手首が肘より上にある事がガッツポーズの必要条件だと思うのだ。

二十年前、貴乃花が右ひざの故障を押して千秋楽に出場し、武蔵丸を投げ飛ばした後、鬼の形相を見せた。両手に力を入れて「どうだ!」とでも言わんばかりのあの動作をガッツポーズと思った人はいない。それは手首が肘より下にあったからではないか。

ボクシングのファイティングポーズを見れば良く分かるように、手首を肘より上にするのは攻撃の姿勢である。バトミントンではサーブを打つ際、手首は肘より下にないといけないというルールがある。サーブを攻撃的に使う事を禁止しているのだ。

ガッツポーズがはしたないとされるのは、負けた相手に更に攻撃の意思を示しているからではないだろうか。では五輪の柔道で阿部詩選手が金メダルを決めた瞬間見せたガッツポーズはどうか。白鵬のガッツポーズに眉をひそめた人も、阿部詩選手のガッツポーズには素直に喜んだのではないだろうか。柔道とガッツポーズの関係についての考察はまた別の機会に。

2021年8月20日金曜日

人騒がせな形

 世の中、人騒がせな形をしたものがあるものです。

下の写真は警視庁のすぐ近くで撮ったものです。





2021年8月17日火曜日

自助

 

実際に自分で行って自分の眼で確認した訳ではない事を書くのは若干憚られるが、ネットの記事によると今成田でちょっとした異変が起きていると言う。いつもなら夏休みでごった返している筈の出発ロビーが閑散としているというのは十分想像できるが、一か所だけ行列が出来ている場所があるらしい。危険な東京から逃げ出そうとする中国人の帰国ラッシュが起きているのだとか。北京や天津は日本からの直行便を拒否していて、大連へ飛んでそこで三週間の隔離生活をするのだそうだが、そういう不便をおしても中国へ帰りたいのだ。

ネットには今の日本のコロナ禍を表現するのに「Sauve qui peut」という言葉も出てきた。戦線が崩壊したり、船が沈没したりするときに船長や指揮官が出す宣言で、フランス語で「勝手に逃げろ」「生き延びられる者は生き延びよ」という意味らしい。もう事態は制御不能だから、以後一切指示に従う必要はない、各自生きるか死ぬかは自己責任だと言うのだ。

確かに「重症患者以外は自宅療養で」と言われると、そう思いたくもなる。一年半前、コロナ禍が始まった頃、病床の逼迫に伴い無症状の患者が病院からホテルに移動するシーンを見て、「こんな元気な人が病院に入る必要はないよなあ」と思ったものだったが、それとは訳が違う。あの時はウィルスの拡散を防ぐため、感染者の隔離という最低限の措置を行ったが、今回はそれすらもしないと言うのか。

菅首相は就任の際「自助、共助、公助」という言葉を使った。コロナも自助で何とかしろと言う事か。感染予防対策は当然の事として、いくら注意しても感染を完全に防ぐのが難しい上は、感染しても平気な体を作るしかない。栄養を取って適度に運動し、運動の合間には冗談を言って笑い合い、免疫を高めるしかなさそうだ。

2021年8月10日火曜日

記者会見

 

菅首相は何のために記者会見をするのだろう。自分の政策の正当性を訴えるため?政策実現に向け国民に協力を求めるため?まさか支持率を下げるためではあるまいが。

実際の会見を見ると、苦しい言い訳に終始したり、記者の質問に真正面から答えようとしなかっり、何か揚げ足を取られるのを恐れているのか、弱みを見せない事に汲々としている感じがする。そんな会見は見ても面白くないから途中でチャンネルを変えてしまう。

五輪開催についての会見もそうだった。あれでは国民の心が一つにならない。例えばこんな風に言ったらどうだったか。

「尾身先生も仰るようにパンデミックの中で五輪を開催するのは普通では考えられない事かも知れない。しかし我国は八年前世界に開催を約束した。幸い国内の感染者数は世界各国から比べれば少なくて済んでいる。コロナ禍での五輪開催という難題を解決する事は日本という国の底力を世界に見せるチャンスでもあると思う。勿論国民の健康安全が脅かされるような事態は避けなければならない。政府はそのために全力を尽くす。IOCにもその事を理解して貰い、海外からの選手団や関係者と国民の接触は最小限に抑える積りだ。IOC役員も来日人数は最低限に抑え、宿泊も都内のホテルではなく、選手と一緒に選手村にする事を承諾して貰った。水際対策も最善を尽くす。政府は安心安全な大会実現に向けて全力を尽くす積りだ。国民皆様からのご意見も素直に取り入れていく。だからどうか五輪開催と成功にご協力頂きたい。日本国民の知恵と規律と実行力を世界に見せようではありませんか。」

そんな風に言ってそれを態度で示してくれたら「よっしゃ、一丁やったるか!」という気持ちにもなろうものを。

菅さん、国民を敵と思ってる訳じゃないですよね?

2021年8月3日火曜日

57年前

 

あれだけの不祥事がなければ興味も持たなかったろうが、本当に久しぶりにオリンピックの開会式を見、そして57年前の記憶を蘇らせた。あの時は古関裕而のマーチに合わせて各国選手団が整然と誇らしく入場するのを見て感じた気持ちの高鳴りが強く印象に残っている。あの清々しい高揚感が残念ながら今回はなかった。私が年を取ったせいなのか、日本が年を取ったせいなのか。

ブルーインパルスもかつて程の輝きがなかった。あの時の空はアナウンサーが「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような」と表現したほど雲一つない秋空で、それがあったればこそ五輪の輪が全て大空に現れたが、今回は残念ながら雲がそれを阻んだ。そして風が強かったせいか、飛行機が一周して輪を描き終わる前に初めの頃の噴煙が風に流され崩れてしまった。57年前のブルーインパルスの妙技は操縦士の技術は勿論のこと、気象条件の全てが見事に揃わないと実現しなかったまさに奇跡の演出であったのだ。

競技が始まり、見事な成果を残す人、期待されながら残念な結果に終わる人、様々だが、選手本人よりその親御さん達の気持ちが気になって仕方ない。57年前には思わなかった事だ。立派な成果を出した人の親の嬉しさは言わずもがなだが、武運つたなく成果を出せなかった人の親御さんはどんな気持ちだろう。落胆する本人以上に親御さんは辛いだろうし、辛さの反面今まで努力を続け必死で頑張ってきた我が子を労わる気持ちも強いだろう。そういう人達にこそ今後の幸あれと祈らずにはいられない。

そして57年前にはなかったものの筆頭がコロナ騒動。「カンセン拡大」が「感染拡大」でなく、「観戦拡大」であったら良かったのに。