2021年9月21日火曜日

餞暑

 歳時記には「残暑」の同義語として「餞暑」という言葉が載っている。寝苦しい夜にお別れ出来て一息ついている身には暑さに「餞(はなむけ)」を送る気にはなれないが、昔は暑さが今ほど過酷ではなく、花火や夕涼みなど暑さを楽しむ知恵と余裕のあった人々は夏との別れを惜しむ気持ちもあったのだろう。

近所の家の庭に咲いている百日紅はきっと「餞暑」を実感しているに違いない。五月の連休頃咲き始め、その名の通り長い間楽しませてくれたが、九月の中旬を過ぎて流石に少し勢いがなくなってきたようだ。その鮮やかな赤は夏の青い空に良く似合う。共演しているのか、競い合っているのか、良く晴れ渡った全天の青と強い桃色のその対比は生命の力強さを象徴しているかのようである。

そして、

テニスで汗を流して心地良い疲労感の中で家まで歩いて帰る途中、まるで空から天女の衣が舞い降りたかのようなかぐわしい香りに身が包まれた。金木犀だ。道端には小さな黄色い花が沢山咲いている。今年もそんな季節になったのだ。

金木犀の香りをかぐと母の実家の庭を思い出す。母は貧しい農家で双子の妹として生まれた。農作業の片手間にする子育てで二人の面倒を見る余裕はない、祖母は姉に掛かり切りになり、母は曾祖母に育てられた。可愛がって育てた孫が生んだ初めての子だというので私は曾祖母に溺愛されたらしい。らしい、というのは幼い頃の事で記憶がはっきりしないからだが、それでも遊びに行くたびに着物の袖の中から飴玉を出してくれたのは鮮明に覚えている。私のためにとっておいたその飴玉はいつも糸くずだらけになっていた。その曾祖母は私が小学三年生の時九十二歳で他界した。

もし愛情に匂いがあるとするならば、それはきっと金木犀の匂いだろうと思っている。

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