2021年9月7日火曜日

パラリンピック

 

パラリンピックを見るといつも自分の努力の足りなさを痛感させられる。

何年前だったか、冬季のパラリンピックだった。脚が一本しかない人が急斜面をスキーで滑り降りていく。両手に持ったスティックを巧みに使い、左右の体重移動でバランスを取りながら滑る姿は勇壮だった。私なんか脚が二本もあってもまともに滑れないというのに。

そして今回は山田美幸さん。生まれつき両手がなく、両脚も不完全でしかも不揃いだ。プールへの出入りも一人ではままならないだろうと思うが、水に入れば両脚のキックだけで背面で泳ぐ。左右不揃いで進行方向の制御が難しかろうに、キックの強さや頻度を調整したり、体の筋肉を使って直進するコツを掴んだのだと思う。銀メダルを取って、14歳の彼女が爽やかな笑顔で言った言葉に胸が熱くなった。

「次に何をすべきかを常に考え、努力を続けていきたいと思います。」

2019年つまり彼女がまだ12歳の時、お父さんがガンで亡くなったそうだ。その時も彼女は何をすべきかを考え、努力を続けたのだろう。

努力を続けているのは彼女だけでない。出場した全ての選手が同じような事を肝に銘じている筈だ。そう思うと、上位三人だけに授与されるメダルに拘るのは如何なものか。ニュース速報や号外とメダリストだけがクローズアップして報道される。確かに彼等におめでとうは言いたいが、惜しくも三位以内に入れなかった人だって十分に称賛に値する。その努力の大きさからすればメダルの有無は小さな事だ。

考えてみれば我々の人生もパラリンピックみたいなものだ。幸い手も脚も二本づつあり視力も聴力もあるが、神様から見れば洞察力もなく、決断力もなく、ないないづくしの不十分な能力で人生というレースを戦っている。メダルは取れなくてもいい、努力した自分に納得できれば。

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