2021年11月30日火曜日

長考

 いささか旧聞になるが藤井聡太当時三冠が竜王のタイトルを奪取し、史上最年少の四冠となった。数えてみたら当コラムで藤井四冠を話題にするのはもう九回目になる。それほど彼の将棋と立ち居振る舞いには感じるところが多い。

まずは将棋の方から。彼の将棋には感動がある、と過去にも書いた。将棋に感動するとはどういう事か、説明を求められて窮した事がある。竜王戦での感動も矢張りその読みの深さに由来する。第三局、角と銀が互いの行手を邪魔しあうように指した一見愚鈍な手が後に効いて最後に相手玉を詰ますのに役立ったり、第四局では豊島前竜王の指した一見機敏な2二歩が最後には自玉の逃げ場所を塞ぐ駒になっていたり、彼には千里眼が備わっているのかと思う。最初からそこまで見通していた訳ではないと思うが、既存の駒の配置を前提に最善を求めた結果なのだと思う。過去を肯定し、運を引き寄せる生き方に似てると思った。

それは長考の産物なのだろうが、局後の記者会見でも彼の長考が目立った。記者が発する質問に彼はしばらく長考し、そして最善手と思える回答を返す。私が一番緊張したのは「次の目標は何ですか」という質問に対してだった。「そうですね・・・」と言ってしばらく考えこむ。

数ある将棋のタイトルの内、竜王が序列第一位と言われるが、それは主催社である読売新聞が多額の賞金を提示して勝ち得たものだ。普通に考えれば将棋の歴史と伝統を背景にして一番の格を持っているのは名人だ。竜王を取れば当然次の目標は名人になるはずだ。それが意地悪な記者の期待した答えだったかも知れない。が、そう言ってしまえば主催社に対して失礼になる。そんな悪手を指す藤井四冠ではない。長考の末彼が出した答えは「もっと強くなる事です。」だった。

2021年11月23日火曜日

朝三暮四

大谷翔平選手がメジャーリーグのMVPに満票で選ばれた。心から拍手を送りたい。今年の投打にわたる活躍を見れば当然の結果と言えるだろう。何よりも「やれば出来る」と見せた事が素晴らしい。過去にも堀内や桑田や松坂など二刀流に挑戦すれば成功したかも知れない選手がいたが、皆先入観に捕らわれたか敢えて挑戦しなかった。先入観を打ち破る勇気はどの分野でも、いつの時代でも素晴らしい。

その大谷選手の受賞インタビューを見ていたら、大谷選手の日本語でのコメントを現地テレビが英訳し、それをまた日本のテレビ局が同時通訳していた。日本のテレビ局に雇われた同時通訳者にとっては晴れの舞台で、全てを細大漏らさず通訳してやろうと待ち構えていたのだろうから、その勇み足をとやかく言う積りはないが、政府のやる事となると黙ってはいられない。

原油高騰でガソリン価格が上昇を続けている。その対策として石油元売り各社にガソリン1リットル当り5円の補助をする、というのだ。そのニュースを聞いた時は悪い冗談だと思った。そんな事をするくらいなら、ガソリンに賦課している税金を5円安くすれば良いだけではないか。ガソリンの小売価格の4割は税金だ。ガソリン税に石油石炭税に温暖化対策税に、しかもそうした税金にまで消費税を掛けている。思う存分ふんだくっておいて、有難く思えとばかり補助金にして返すとは朝三暮四で猿を騙した手口に似ている。日本語の英訳を和訳する以上に馬鹿げた話だ。

似た話は他にもある。

電気自動車もその一つに思える。電力が全て自然エネルギー由来ならともかく、石油を燃やして水を沸騰させてその力で電力を起こすくらいなら石油を直接内燃機関で利用した方がよほど効率的に思えてならない。

 


2021年11月16日火曜日

浦島太郎

 浦島太郎が竜宮城を辞したのはそこでの生活に飽きたからなのだろうか、それともお土産の玉手箱の懲罰的な色彩を考えると、本人はもっと居たかったのに追い出されてしまったのだろうか。「昔、昔、浦島は」で始まる歌の三番は

遊びに飽きて気が付いて

お暇乞いもそこそこに

帰る途中の楽しみは

土産に貰った玉手箱

と歌っているし、太宰治も「お伽草子」で以下のように書いている。

「さうして、浦島は、やがて飽きた。許される事に飽きたのかも知れない。陸上の貧しい生活が戀しくなつた。お互ひ他人の批評を氣にして、泣いたり怒つたり、ケチにこそこそ暮してゐる陸上の人たちが、たまらなく可憐で、さうして、何だか美しいもののやうにさへ思はれて來た。」

そして玉手箱の悲劇が何を意味するのか、パンドラの箱と対比しながら考察している。

いずれにしろ、贅沢な生活というものはいずれ飽きるものらしい。食事にしても、毎日ずっと食べる事を前提にすれば高価なステーキより梅干しにお茶漬けの方が飽きがこないような気がする。

美酒美食美女に囲まれた竜宮城の安穏な生活より、宮沢賢治のように「小サナ萓ブキノ小屋」に住み「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」、東西南北で起きる様々な事件に対処する事を通じて周囲の人々と交流し、多少の寒暖には負けない健康を持っている事こそ、幸せの極致かも知れない。

神様にしてみれば、幸福になりたいというから豊かな環境を与えてやったのにそれに飽きるなんて、人間はなんと身勝手かと呆れているに違いない。幸せは神様におねだりするものではなく、自分の努力で創り上げていくしかない、という事なのだろう。

2021年11月9日火曜日

天国

 幸福について色々考えている内に「天国」という言葉を思い出した。天国こそまさに幸福を保証する場所ではないだろうかと。

イスラム過激派によるテロが起きるたびに、彼等はジハード(聖戦)を行った者は天国に行けると信じているからこそあのような自爆テロを敢えて実行するのだ、と解説される。コーランを直接読んだ事はないが、解説書によれば彼等が憧れる天国の様子が次のように書かれているらしい。

「彼等(この世において信仰し,善行に励んだ人達)はそこで,こんこんと湧き出る泉のほとり,緑したたる木陰で,うるわしい乙女にかしずかれ,たくさんのおいしい食物や酒や飲物を心ゆくまで味わい,なんの気遣いもない生活を送る。」

お酒を禁じているイスラム教も天国なら許されるのかちょっと気になるが、「こんこんと湧き出る泉」や「緑したたる木陰」などはいかにも砂漠の宗教である事を感じさせる。アラビア半島の荒涼たる大地を一度見たら、それらを切望する気持ちが分かる。そして何より気になるのが「うるわしい乙女」だ。自爆テロの実行犯には時々女性もいる。彼女らも天国ではうるわしい乙女にかしずかれる事を夢見るのだろうか、それとも優しいイケメンが脳裏に浮かぶのか。

さて、そうした天国は本当に幸せなのだろうか。折角そうした環境にいながら、飽きてしまったのかそこから逃げ出した人がいる。浦島太郎だ。彼がいた竜宮城はまさに美酒美食美女に囲まれた世界だった。だがそこも一週間や十日ならともかく何か月も続くと退屈になるのだろうか。貧しくとも村の仲間との交流が恋しくなって浦島太郎は竜宮城を辞した。

いや白髪になるまでそこにいたという事は何十年も飽きる事がなかったという事を示しているのだろうか。

2021年11月2日火曜日

幸せ

小室夫妻の会見を見ても眞子さまの幸せへの心配が払拭される事は残念ながらなかった。が、今回はそれを離れ、一般に幸せとは、幸福とは何かについて考えてみたい。

各地の神社を訪れる度に、そこにぶら下げられている絵馬に書かれている事を読むのを密かな楽しみにしている。中には細かい字で自分の境遇を何枚にも渡ってびっしり書いてあるものもあった。全部は読まないがきっと最後には「だからこうして下さい」と書いてあるのだろう。そんな中で、一番多い願い事は「幸せになりたい」という事である。

さて、「幸せにして下さい」とお願いされた神様はその人にどうすれば良いのだろう。「志望校に合格したい」とか「思いを寄せるあの人と結ばれたい」とかなら神様も具体的対処が出来そうではあるが、「幸せになりたい」では神様もどうして良いか当惑されるように思う。「大金を入手したい」と書いた人が、愛する我が子を交通事故で失った代わりに多額の賠償金を得たという冗談めいた笑い話もある。

新明解国語辞典は「幸福」を「現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持ちを起こさないこと、またその状態」と説明している。ソフトバンクの孫社長は1兆円の利益を計上した決算発表の会場で「1兆や2兆で満足はしない」と豪語した。現状に満足しない孫さんは幸福ではないのか。それもちょっと違う。

幸せでない状態は容易に想像できる。大きな災害にあったり、飢えたり凍えたり。愛する人を失うのもそうだろう。要するに大切な何かが欠乏する状態だ。幸福の多義性と不幸な状態の明確さを鑑みると「幸福とは不幸ではない状態」と定義するしかないような気がする。

孫さんが不幸に見えないのは彼が足りないと感じているものがきっと大切なものではないからだろう。