浦島太郎が竜宮城を辞したのはそこでの生活に飽きたからなのだろうか、それともお土産の玉手箱の懲罰的な色彩を考えると、本人はもっと居たかったのに追い出されてしまったのだろうか。「昔、昔、浦島は」で始まる歌の三番は
遊びに飽きて気が付いて
お暇乞いもそこそこに
帰る途中の楽しみは
土産に貰った玉手箱
と歌っているし、太宰治も「お伽草子」で以下のように書いている。
「さうして、浦島は、やがて飽きた。許される事に飽きたのかも知れない。陸上の貧しい生活が戀しくなつた。お互ひ他人の批評を氣にして、泣いたり怒つたり、ケチにこそこそ暮してゐる陸上の人たちが、たまらなく可憐で、さうして、何だか美しいもののやうにさへ思はれて來た。」
そして玉手箱の悲劇が何を意味するのか、パンドラの箱と対比しながら考察している。
いずれにしろ、贅沢な生活というものはいずれ飽きるものらしい。食事にしても、毎日ずっと食べる事を前提にすれば高価なステーキより梅干しにお茶漬けの方が飽きがこないような気がする。
美酒美食美女に囲まれた竜宮城の安穏な生活より、宮沢賢治のように「小サナ萓ブキノ小屋」に住み「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」、東西南北で起きる様々な事件に対処する事を通じて周囲の人々と交流し、多少の寒暖には負けない健康を持っている事こそ、幸せの極致かも知れない。
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