勤労感謝の日が近づくと流石に秋の深まりが感じられる今日この頃である。今年は10月の下旬から穏やかな小春日和が続き、紅葉も少し足踏みかと思ったが鰐淵寺は今頃紅葉狩りの人で一杯なのだろう。
暑かった夏が終わり、次第に日が短くなるにつれて木々の葉が色を変え落葉し、次に来る冬の寒さが徐々に実感として身に沁みるようになる感覚は「深まる」という言葉がぴったり当てはまる。「高み」から「深み」へ、「高揚」から「落ち着き」へという方向感覚が「深み」という言葉に良く合致するからだと思う。
だから「春が深まる」という表現には非常な違和感があった。春という季節は基本的に上昇志向で、これから隆盛に向かう気分が「深み」という語感に馴染まない。「春爛漫」という浮き立つような言葉こそ、そうした春の気分によく似あう。
ある小説を読んでいて次の表現に出会った。「春も次第次第に深まり、これで色づきはじめた桜のつぼみがほころんで、そして一夜の雨風に散ってしまえば、あとはただ濃い緑と輝く日差しの初夏へと移り変わって行くばかりだ。」これから夏に向かって行くのが淋しいとでも言っているかのようだ。こんな日本語はおかしいのではないかと思って、周りの友人の意見を聞くと、多くの人が「春が深まる事はないと思う」と言う意見だった。
ただ、これを書いたのは柴田翔、芥川賞を取ってドイツへ留学し、東大文学部の学部長まで務めた人だ。まさかそんな人が間違いはすまいと思っていろいろ調べると「春深し」という季語がちゃんとあるらしい。「春深し妻と愁ひを異にして」(安住敦)などの作例が紹介されていた。
ついでに調べると、冬も夏も深まるものらしい。冬は一番厳しい頃、夏は終わりの頃を言うとの事だった。
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