もっと出雲弁に誇りを持つべきだという事を教えてくれたのは「はやす」という言葉だった。「キュウリやスイカをはやす」の「はやす」を辞書で引いて驚いた。その漢字が「生やす」だと言うのだ。「切る」という意味に「生」の字を使うとは。忌み言葉を嫌う京都のお公家さんの考えそうな事だ。広辞苑には例文として保元物語の「其の後は御爪をもはやさず、御髪もそらせ給はで・・・」(爪も切らず、髪もそらないで)と崇徳上皇が怨念をたぎらせる様子を描く部分が引用されている。
現在の日本で「切る」という意味で「はやす」という言葉を使っているのは出雲地方だけではないだろうか。中世の由緒正しい日本語が今も残っているという意味で、出雲弁は大切で誇りにすべきものではないか。そう思って色々辞書を引くと、我々が出雲弁だとばかり思っている言葉が実は由緒正しいものだという例が沢山見つかる。
母がよくこぼしていた「けんべき」は「痃癖・肩癖」という立派な字を持っていて、意味もちゃんと「肩こり」の事だと書いてある。「その服、かいさめだねか」の「かいさめ」は「反様(かいさま)」で、「カイサマに着物を着る」の用例が載っている。「かいしきえけだった」の「かいしき」は「皆式・皆色」だし、これはないだろうと思っていた「はばしい」もちゃんと「幅しい」として日本国語大事典に載っていた。
出雲弁に誇りを持つための一つの方法は、その言葉を漢字にしたらどうかを考える事ではないか。「えしこ」「わりしこ」の「しこ」は「趣向」ではないかと思っているのだが、どうだろうか。
(注。日本国語大事典によれば「はやす」を「切る」の意味で使っているのは、青森から新潟、静岡、長崎対馬に至るまで全国各地で見られるそうです。訂正します。)
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