2023年2月28日火曜日

戦争の長さ:806

 224日ロシアのウクライナ侵攻から一年が経ったが、戦争は全く終わる気配を見せない。自国が戦場になっているウクライナ国民はどんな思いで一年を過ごしたか。時間の長さを実感するため日本が戦った過去の戦争と比較してみた。

日清戦争は189481日に日本が清国に対して宣戦布告をし、翌1895年の417日には下関で講和条約が結ばれている。宣戦布告の前に若干の衝突はあったもののその期間は1年に満たない。ウクライナ戦争に同じ長さを当てはめると、9月か10月には終わった計算になる。日本軍がすばやく旅順や威海衛の主要な港を攻略し、黄海や渤海の制海権を握った事が大きかったようだ。その背景には清軍の士気の低さがある。

日露戦争は1904210日に宣戦布告、ポーツマス条約が締結されたのは190595日だから約一年半の戦争だった。途中、宣戦布告から300日後の1904125日に203高地が陥落し、472日後の1905527日には日本海海戦で日本軍が決定的な勝利を収めた。この戦争でもロシア国内は一枚岩とは言えず、開戦からそろそろ一年を迎えようという1905122日には血の日曜日事件が起きたりしている。ただ、この戦争で戦場になったのは朝鮮半島と満州地方だから、戦争当事国の国民に左程悲惨な実感はなかったのではないだろうか。

日本人が悲惨な思いを経験した第二次世界大戦を見ると、1945815日の終戦まで柳条湖事件からは約14年、盧溝橋事件からは約8年、真珠湾攻撃から4年弱の時間があった。日本本土が初めて空襲されたのは1942418日のドゥーリトル空襲で、それから3年以上も日本国民は空襲に怯える生活をした訳だ。

ウクライナに一日も早く穏やかな時が訪れますように。

2023年2月21日火曜日

自主性:805

 バレンタイン・デー、テレビのニュースで某会社が義理チョコ禁止令を出したと報じていた。そんな事わざわざ明文化せずとも各自の自主性に任せればよいのに。義理チョコと分かっていても貰えば嬉しいもので、こんな馬鹿なお触れをだすのはモテない上司に違いない。

かと思うと、一国の総理が「マスクの着用は今後各自の自主的判断に任せる」と仰る。あれ、今までも自主的判断に任されていたと思っていたのに、違ったのか。なんだか日本人全部が上からの指示がないと自分の行動を決められない指示待ち族になってしまったようだ。その内に箸の上げ下げまで政治が口出しするのではないかと心配になる。

マスクの着脱について総理は年度末の学校行事にまで気を配って、こういう場合は着けろ、ああいう場合は要らない、と事細かに指針を出される。そんな事まで総理の指示がないと教育現場は動かないものなのか。卒業式におけるマスク着用の方針など、その地の状況に応じて校長の判断で十分だと思うのだが、それが出来ないのだろう。

愚考するに、各校長は何かあった時の責任を取りたくないのではないか。マスク着用不要の判断をして、結果クラスターを招いたような場合、父兄からの糾弾を浴びてしまう。そんな事態を避けるため何らかのお上からのお墨付きが欲しかった、という構図に見える。お上はお上で、どこかの地方都市のある学校でクラスターが発生したとしても、そこまでは面倒見切れないよと言っていられる。結局誰も傷つくことなく無事治まるという次第。

薄い布切れ一枚でウィルスに対抗するのは、竹槍で米軍に挑むようなものだから、それも一つの知恵なのかも知れない。だが自主性の放棄は自由の喪失につながり、自由には責任の裏書が必要な事を忘れないようにしよう、その思いを強くしたバレンタイン・デーでした。

2023年2月15日水曜日

睡眠の不思議



自転車圏内に県立図書館があるのは有難い事である。

そこで行われた睡眠に関する講演に行ってきた。

前半は睡眠不足がもたらす悪影響について。

睡眠不足が体に悪い事なんて、改めて研究するまでもない事だと思うけど、そういう事をわざわざ金を掛けて調べるのが学者の性なのか。

後半ではレム睡眠とノンレム睡眠など睡眠のメカニズムについての話があって、最後は脳に電極を当て微弱な電波を送って熟睡を促す研究の紹介があった。脳に電波を送るなんて、できればしたくないなあ、と思った。

ところでこの講義を聴いて思った疑問。

1)生物と睡眠の関係

動物はおそらく種を問わず睡眠をしていると思うが、植物はどうか。おそらく植物に睡眠はない。

動物でも単細胞生物、たとえばアメーバーやゾウリムシは睡眠しているのだろうか?なんだかしてない感じがする。

ならば睡眠をするしないの境界はどこにあるのだろうか?

2)細胞レベルでの睡眠

人間でも細胞レベルでみると睡眠という概念は当てはまらなくなるのではないか?

臓器レベルで考えても、心臓は勿論、肺や肝臓や腎臓も個体が眠っている間も休みなく働いているような気がする。

臓器には睡眠と言う概念はなさそうだ。

細胞も睡眠していない気がする。ミトコンドリアでエネルギーを生み出すなんて作業を夜は休むのだろうか?

3)そもそも睡眠とは何か?

個体が眠っている間、臓器は休まず働いている。脳も記憶の整理などをやっていると聞いた。筋肉も寝返りをうったりして動いている。眼球もRapid Eyeというくらいに動いている。睡眠はたんなる休止ではない。何か体を維持するための作業を一生懸命やっているのだ。それは一体何か?

渡り鳥は睡眠ととりながら、ちゃんと飛び続けているらしい。どうしてそんな事が可能なのか?

睡眠の定義でちゃんとしたものがあるのだろうか?夢遊病者が動き回っている間は睡眠と言えるのかどうか?

2023年2月14日火曜日

大気:804

 関東地方の先週の天気はジェットコースターのように変化した。火曜日はテニスをしていると半袖になりたくなるような春間近を思わせる陽気だったが、金曜は一転冷たい雪の日となり、その雪も明くる土曜日の暖かさで一気に解けた。太陽と地球の関係が一週間の内にそれ程大きく変化する筈もなく、この気候・気温の変化は上空の大気の影響だろう。

天気予報で良く「上空の寒気団」という言葉が出て来る。ネットで検索すると上空約5000mの気温が大雪の目安となり、約1500mの気温が雨か雪かを分けるのだとか。5000mと言えば富士山山頂よりもっと高い場所で遥か上空に思えるが、冷静に考えてみるとそんなに遠い話ではない。

出雲平野の地図を頭に思い浮かべて欲しい。一畑電鉄の路線図によると川跡駅と大寺駅の間が1.5km、出雲市駅と川跡駅の間が4.9kmだそうだから地図の上にそれだけの距離の厚みの空気を思い浮かべれば良い。それだけの厚さ(薄さ?)の空気が山陰地方一帯を覆っている姿を想像すれば、それが地上の気候に大きな影響を持つだろうことは容易に理解できる。

そもそも地球を覆って守っている空気層は極めて薄い。太陽に暖められて軽くなった空気が上昇し、上で冷やされてまた降りて来る循環を繰り返している空気の層を対流圏と言っているがそれはせいぜい1516㎞程度だそうだ。そのなかに空気の90%が含まれる。それを地上の距離にすると出雲市駅から園駅までに相当する。地球儀を頭に思い浮かべ、そこに出雲市から園駅までの厚さの層をかぶせて見て欲しい。漆黒の宇宙空間に浮かぶ地球はそんな薄い膜でしか守られていないのだ。

冬には厚手の布団の中で暖を取っている我々だが、地球は煎餅布団より薄いサランラップのような布団にくるまっているだけなのだ。

2023年2月7日火曜日

刑務所:トライアングル第803回

 刑務所という所がどんな所か、実際にこの眼で見た事がないのでニュース報道や映画で表現された映像から想像するしかない。本来、悪事を働いた人を罰するための場所なのだから快適な環境ではあり得ない筈なのだが、VIP待遇を受けそこから出たくないような場所もあるのには驚いた。

「ショーシャンクの空に」という映画は冤罪で投獄された男性が脱獄する話だが、所内で気晴らしのため時々野球大会などが催され、それを見た小学校低学年だった娘が「刑務所ってこんなに楽しいの」と聞いてきたのを思い出す。ヒトラーがミュンヘン一揆の失敗で投獄された時は比較的恵まれた環境に置かれ、我が闘争の執筆に時間を費やす余裕があったそうだが、それは特殊なケースだ。韓国映画「シルミド」は刑務所にいた囚人達に「国家に貢献したら罪を帳消しにしてやる」と言って軍の特殊部隊を結成し、猛特訓を課す場面が描かれるが、背中に焼き鏝を当たられるような過酷な仕打ちを受けても「それでも刑務所に帰るよりましだ」と言う。それが本当なら韓国の刑務所ってなんとひどい所か。緒形拳が何度も脱獄を繰り返す凶悪犯を演じた「破獄」に描かれた刑務所が一番実態に近いのだろうと思う。

それにしても賄賂を渡せばエアコンの効いた部屋で美食を楽しみ時々ゴルフまで出来る刑務所が現実にあろうとは。賄賂を受け取り相手の便宜を図るのは人間の弱さの表れとしてある程度やむを得ないとしても、VIPルームを用意するのは組織の問題であって、何かおかしい。裁判を長引かせてそこから出ないようにしようと思わせるなんて言語同断で、即刻いたたまれない程の厳しい環境に移すべきだろう。そうでもしなければひどい殺され方をした90歳のお婆さんが浮かばれない。

2023年2月4日土曜日

正しい日本語を!

 2月2日はスターリングラードの戦いにソ連が勝利した日だそうで、NHKの「国際報道2023」ではその戦勝を祝うロシアの様子が放映された。そこでアナウンサーが言うには「この勝利で形勢は逆転し、ついにはベルリンを陥落」と。「ベルリンを陥落」っておかしくない?!



「ベルリンを攻略」とか「ベルリンは陥落」と言うなら分かる。

最近動詞の語尾を省略する表現に疑問を感じる場合が多い。「した」とか「する」とか能動態の場合に語尾を省略するのは良いが、「される」「させる」など受動態、使役態で語尾を省略するのは違和感が大きい。いや誤用と言っていいではないか。

語尾を省略した場合はそれは能動態であるという暗黙の了解・ルールがあると思う。

奈良で平城京の朱雀門が再建された時「平城京が再建」などと報道される。これを聞くと「えっ?平城京が何を再建したの?」という疑問が湧く。いうなら「平城京、再建さる」とか「平城京を再建」でしょう。

どこかの国の王女が拉致された時など「王女が拉致」なんて言うと「人を拉致するなんてなんとヒドイ王女だろう」と思ってしまう。

助詞は日本語の命。NHKさん、お願いだから正しい日本語を使って下さい!