2月24日ロシアのウクライナ侵攻から一年が経ったが、戦争は全く終わる気配を見せない。自国が戦場になっているウクライナ国民はどんな思いで一年を過ごしたか。時間の長さを実感するため日本が戦った過去の戦争と比較してみた。
日清戦争は1894年8月1日に日本が清国に対して宣戦布告をし、翌1895年の4月17日には下関で講和条約が結ばれている。宣戦布告の前に若干の衝突はあったもののその期間は1年に満たない。ウクライナ戦争に同じ長さを当てはめると、9月か10月には終わった計算になる。日本軍がすばやく旅順や威海衛の主要な港を攻略し、黄海や渤海の制海権を握った事が大きかったようだ。その背景には清軍の士気の低さがある。
日露戦争は1904年2月10日に宣戦布告、ポーツマス条約が締結されたのは1905年9月5日だから約一年半の戦争だった。途中、宣戦布告から300日後の1904年12月5日に203高地が陥落し、472日後の1905年5月27日には日本海海戦で日本軍が決定的な勝利を収めた。この戦争でもロシア国内は一枚岩とは言えず、開戦からそろそろ一年を迎えようという1905年1月22日には血の日曜日事件が起きたりしている。ただ、この戦争で戦場になったのは朝鮮半島と満州地方だから、戦争当事国の国民に左程悲惨な実感はなかったのではないだろうか。
日本人が悲惨な思いを経験した第二次世界大戦を見ると、1945年8月15日の終戦まで柳条湖事件からは約14年、盧溝橋事件からは約8年、真珠湾攻撃から4年弱の時間があった。日本本土が初めて空襲されたのは1942年4月18日のドゥーリトル空襲で、それから3年以上も日本国民は空襲に怯える生活をした訳だ。
ウクライナに一日も早く穏やかな時が訪れますように。