バレンタイン・デー、テレビのニュースで某会社が義理チョコ禁止令を出したと報じていた。そんな事わざわざ明文化せずとも各自の自主性に任せればよいのに。義理チョコと分かっていても貰えば嬉しいもので、こんな馬鹿なお触れをだすのはモテない上司に違いない。
かと思うと、一国の総理が「マスクの着用は今後各自の自主的判断に任せる」と仰る。あれ、今までも自主的判断に任されていたと思っていたのに、違ったのか。なんだか日本人全部が上からの指示がないと自分の行動を決められない指示待ち族になってしまったようだ。その内に箸の上げ下げまで政治が口出しするのではないかと心配になる。
マスクの着脱について総理は年度末の学校行事にまで気を配って、こういう場合は着けろ、ああいう場合は要らない、と事細かに指針を出される。そんな事まで総理の指示がないと教育現場は動かないものなのか。卒業式におけるマスク着用の方針など、その地の状況に応じて校長の判断で十分だと思うのだが、それが出来ないのだろう。
愚考するに、各校長は何かあった時の責任を取りたくないのではないか。マスク着用不要の判断をして、結果クラスターを招いたような場合、父兄からの糾弾を浴びてしまう。そんな事態を避けるため何らかのお上からのお墨付きが欲しかった、という構図に見える。お上はお上で、どこかの地方都市のある学校でクラスターが発生したとしても、そこまでは面倒見切れないよと言っていられる。結局誰も傷つくことなく無事治まるという次第。
薄い布切れ一枚でウィルスに対抗するのは、竹槍で米軍に挑むようなものだから、それも一つの知恵なのかも知れない。だが自主性の放棄は自由の喪失につながり、自由には責任の裏書が必要な事を忘れないようにしよう、その思いを強くしたバレンタイン・デーでした。
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