数ある日本語の中で「忖度」ほど昨今ひどい扱いを受けている言葉はないだろう。モリカケ事件以来、「忖度」は悪事の代表のような言われ方をして、ビッグモーターを巡る不祥事でも「現場の社員が幹部を忖度したのが悪い」などと言われた。
広辞苑を引くと「忖度」とは「他人の心中をおしはかること」とあり、それが悪い事である筈がない。モリカケにしろ、ビッグモーターにしろ、上司の狙いを感じ取り、その方針に沿って事を進めるのは良いが、どこかで血迷って悪事を働いてしまった事こそが悪いのであって、「忖度」に罪はない。もし上司が言外に悪事を認めむしろ強要しているようであれば、教唆犯としてその責を問うべきであろう。
「忖度は日本語の美しい表現の一つであり、社会的な意識を持つ上で重要な概念として理解されています。ただし、必要な場面で適切な判断を下すことも重要であり、全ての状況において忖度が必要なわけではありません。」こう言っているのは誰でしょう。実は今をときめくChatGPTに「忖度について教えてください」と問いかけたら右記のような答えが返ってきた。実に的を得た答えではないか。続いて「この言葉は日本独特の文化的背景に由来しており、日本社会では他人との調和を大切にする傾向があります。そのため、忖度は良い意味での気遣いや思いやりとして認識される場面もありますが、一方で個人の意見や主張を押し隠すことによる問題点も指摘されることがあります。」として「忖度」が悪い方向に働く場合の例が示された。ここまでの答えが出せるなら、確かに学校のレポートに利用してみようと言う気になるのも分かる。
ChatGPT、お主やるなと思って次の質問をしてみたが、そこで馬脚を露したように感じた。(次回に続く)
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