「はだしのゲン」が広島市の平和教育の教材から削除されるそうだ。いつかは読みたいと思いつつも未読の「はだしのゲン」がどんな内容なのかも、それを教材として問題視する意見の概要も知らないが、NHKのクローズアップ現代の報道を見る限りでは色々問題がありそうだ。
既存教材の問題点を洗い出す検討会では全く話題にされなかったのに、それを踏まえて改訂版を検討する委員会でいきなり削除が決まった経緯の不透明さや、削除を決めた委員達の歯切れの悪さが印象に残った。決定に大義名分があるのならそれを堂々と主張すれば良いのに。
事の是非はともかく、浪曲が不当に扱われている事は残念だった。はだしのゲンが教材として不適である事の一つの理由が、中にゲンが浪曲をうなるシーンがあるからだ、と言うのだ。小学生に浪曲は理解できないから、というのだが、ならば浪曲をもっと教えれば良いではないか。浪曲は落語や講談とならぶ立派な日本文化の一つなのだから。
実は最近浪曲にはまっていて、図書館でCDを借りて来ては聴いている。その音楽性もなかなかのものだと思うし、七五調で語られる箴言めいた文句も面白い。
例えば「紺屋高尾」という演目には以下の台詞があった。「女郎の誠と卵の四角、あれば晦日に月が出る」現代人向けには「あれば西から日が昇る」とでも言うべきか。太陰暦で暮らしていた人々には晦日に月が出る事はそれくらいあり得ない事だった。
太陰暦時代の常識が分かれば、明智光秀が本能寺の変を決行したのが六月一日から二日にかけての深夜であったのは隠密行動を取るのに月明りが邪魔だったからだとか、赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのが十二月十四日であったのは逆に月明りが欲しかったからだという事も理解できるのに。
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