2024年4月30日火曜日

男女共学

 3週間の帰省を終えて家に帰ると、その間に溜まった新聞に眼を通す。すると埼玉地方版の「共学化2度目の勧告」という見出しが眼に止まった。

男女別学の公立高校が今でも全国に45校(男子校15,女子校30)あって、埼玉県には男子校5,女子校7が残っているが、県の男女共同参画苦情処理委員会が「早期に共同化を実現すべきだ」との勧告を出した、それも2002年についで2度目だ、というのがその記事の概要だ。

勧告を出した組織の名称からも分かるが、その趣旨は男女平等が主眼だが、共同化に反対の声は22年前と同様今も多いというから驚く。生徒会が実施したアンケートでは浦和高校の86%、春日部高校の87%が「反対」「どちらかと言えば反対」と答えたという。OBの中には「長年の歴史・伝統を壊してまで共学化すべきか」という意見もあるらしいが、男女平等と伝統を秤に掛ければ前者の方が重要だと考える方が自然に思える。

この記事を見て高校時代にクラスの担任の先生から出雲高校共学化の際のエピソードについて伺った話を思い出した。共学校としての出雲高校の発足は昭和23年の事だから、担任の先生の年齢を勘案して彼が当事者であった事に疑いはない。旧制簸川中学にルーツを持つ男子校と、女子師範にルーツを持つ女子校の共学化に関し、男子校の生徒会で討論された時、声に出して言う意見は圧倒的に反対が多かったが、いざ無記名の投票を行ったら賛成が圧倒的多数を占めた、と。口では硬派を気取っても、内心は女性と触れ合う機会を求めていたという事か。

女子校の学園祭に男子校の生徒が大勢で押し掛けたりするではないか。男性が女性の魅力に惹かれるのは自然な事で、修道院や禅寺のような禁欲や強がりは時代遅れに思えるが。

2024年4月23日火曜日

カネとの付き合い方

 数週間前だったが、バイデン大統領が資金集めのパーティを開いたという記事を見た。11月の大統領選挙を控え、支持率低迷に苦しむバイデン氏を応援するため、オバマ、クリントンの二人の元大統領が応援に駆けつけ、一晩で39億円を集めたという。その金額の大きさにも驚くが、そうした収入の額を堂々と公表して憚らない風土にも驚く。日本で政治家が資金集めのパーティを開いたとしても、その収入総額がいくらになったかなど、決して報道される事はないだろう。

記事にはチケットの料金も書いてあって250ドルから50万ドルだそうだ。1ドル=150円で換算すると37500円から7500万円だ。家を一軒買ってもおつりが来そうな金額を出そうという人がいるのも驚く。しかも会場の様子を見ると、特に食事や飲み物が用意されている訳でもなく、政治家の演説を聞くだけのように見える。そんな事を日本でやれば、やらずぼったくりだと週刊誌に叩かれるに違いない。

政治とカネの関係についての感覚が日米でこうも違うのはどうしてだろう。そもそも日本人はカネについて言及する事を卑しい事だと思っているフシがある。自然災害や各種事故における個人の損害額やその補償について具体的な金額が表に出たのを見た事がない。

テレビコマーシャルにも日米のカネに関する感覚の違いが現れている。アメリカでは多くの場合その製品の価格が表示され、それが如何にお買い得かが強調されるのに、イメージ重視の日本のCMでは値段を言うのはタブーのようだ。

ユダヤ教の教えに「カネは無慈悲な主人であるが、同時にこれほど優れた召使はいない」というのがあるそうだ。主人なのか使用人なのか友人なのかはたまた悪しき隣人か、日本人もカネとの付き合い方を見直したらどうか。

2024年4月16日火曜日

はした金

 自民党のパーティ券売上キックバック事件ではキックバックの金額が500万円以下の場合は処分の対象から外すという判断がなされた。処分されてる人も沢山いて、それが悪い事であるとの認識はあるようだから、やった事が悪い事ではあっても、その金額が少ない場合には許してあげよう、という事らしい。

実は似たような判断が最高裁判決として出された事件がある。「葉煙草一厘事件」と呼ばれるのがそれで、栃木県の農家の男性(当時63歳)が自分が栽培した葉煙草一厘分(一厘は一円の千分の一)を自分で吸ってしまったため、本来大蔵省専売局に納付すべきものを横領したとして訴えられた。一審では無罪、二審では罰金10円の有罪、最高裁で無罪が言い渡された。違法な行為であったとしても実害がほとんどなく微細な所為であれば罪には問えないというのがその判決理由だった。

事件が起きた明治42年の貨幣価値がどの程度であったか、詳しい資料がないのだが、仮に当時の1円が今の1万円に相当するとして、男性が横領したのは今の価値にして10円程度だったと思われる。10円をはした金と呼ぶのは、1円たりとも無駄にしたくない私にとってはなんとも気まずい事だが、人を罪に問う重要性に鑑みれば敢えてそれも許されるかも知れない。

だが、500万円は如何なものか。庶民にとって500万円はゆうに一年が暮らせようかという大金だ。だが自民党の先生方にとっては罪を問うには値しないはした金のようだ。

そうした金銭感覚や、宴会に露出の多い女性を呼んで浮かれ騒いだりしている姿を見ると、政治家がお金に困っているとは到底思えない。政党交付金は政治にはお金が必要で、政治家がお金に困っているという前提で作られた制度だ。制度の見直しが必要ではないだろうか。

2024年4月11日木曜日

大宰府


 11日は大宰府天満宮と九州国立博物館へ行きました。大宰府天満宮は本殿の改修工事の最中で、その代わりに屋上緑化を施した超モダンな仮本殿が立っていた。

九州国立博物館で一番印象的だったのは釈迦菩薩立像。その顔立ちが西洋人だったこと。パキスタンのガンダーラで出土したものらしいが、これがギリシャ彫刻の影響を受けた仏像の原初の姿なのかなあ。






2024年4月10日水曜日

熊野摩崖仏

 国東半島観光の白眉は熊野摩崖仏。険しい山道を登らないとたどり着けないけど、行って良かった。人間の体と比べてスケール感を実感して下さい



富貴寺

 4月10日は国東半島へ。富貴寺(もとは蕗寺だったらしい)の弥勒堂は国宝。仁王像はやはり国東半島らしく石像でした。






2024年4月9日火曜日

九州旅行1日目

 出雲に帰省して、幼馴染と九州旅行に出掛けました。今日は中津と耶馬渓を回った。中津城は黒田官兵衛の城として売り出しているんだね。確か秀吉が官兵衛に国を与えるにあたって、あまり大きな国を与えるとそれを足場に天下を狙いかねないと心配して中津と言う小さな領国に止めたという話があった。耶馬渓の羅漢寺は残念ながら閉門されていたが仁王門の石像の仁王像は見事だった。耶馬渓橋(オランダ橋)は欄干が崩れて通行禁止は仕方ないね。








依存症

 水原氏は自らをギャンブル依存症だと告白した。そもそも依存症とはその渦中にいる人は自覚が持てる程冷静ではいられないように見えるが、自覚のある水原氏はまだ軽症なのかも知れない。

翻って、自分自身が何かの依存症になった事があるのだろうかと思い起して見ると、どうも特別何かに入れ込んだ記憶がない。それが凡人の性なのだろうが、逆に何か事を成した人は基本的にそれにのめり込み、自分の人生よりその事の方がより大切だという一種の依存症になった人が多いように思える。

大谷選手は言ってみれば野球依存症ではないか。初めて来たニューヨークの印象を尋ねられて「出歩いていないから分かりません」と答えたというエピソードがある。あのニューヨークへ行っても、名所を歩いたり、名物を食べたり、浮かれる事無く、トレーニングや野球のデータ分析に時間を過ごしていたのだろう。一心不乱に野球に専念する姿は野球依存症そのものに見える。

藤井聡太八冠は将棋依存症だ。一番好きなのは何ですかと聞かれて迷うことなく「将棋です」と答え、二番目は、と聞かれると「そうですね・・・・詰将棋ですね」と答える。では三番目に好きなのはと聞かれて、しばらく考え込んだ後「ううん、詰将棋を作る事です」と答えた。まさに将棋一筋の人生は将棋依存症に他ならない。

モーツァルトは音楽依存症だったような気がする。彼は音楽なしでは生きて行けなかったのではないかと思う。

こうした偉人達と水原氏の違いは何か。それは依存症になる対象と相思相愛の関係の関係になれたかどうかではないか。大谷は野球に愛され、藤井は将棋に愛され、モーツァルトは音楽に愛された。水原氏は残念ながらギャンブルに愛される事はなかった。もっともギャンブルはおそらく誰も愛さないだろうが。

2024年4月2日火曜日

塞翁が馬

 人間万事塞翁が馬。水原一平氏の賭博騒動の報に接した時、真っ先に浮かんだ言葉がそれだった。

球界のスーパースターである大谷選手の専属通訳になるという僥倖がなければ、数億円もの借金を背負い込むと言う不幸に見舞われる事もなかったろう。水原氏が普通のサラリーマンだったら、胴元も回収不能なほどの賭けを許すはずがない。

大谷選手の会見を見て残念だったのは金の動きに関しての言及が全くなかった事だ。どうして水原氏があれだけ巨額の金を動かす事が出来たのか、それについて皆が納得する説明があったらあの会見は完璧だった。それを言わなかったのは、弁護士からの指示で敢えてそうしたのか、まさか大谷選手側に何か後ろめたい事がある訳ではなかろうが。

普段から車を買ったり家賃を払ったりの実務を大谷選手は代理人に任せていたのだろうから、その代理人が彼の口座からお金を動かすのは可能だったろうが、それにしても送金の実務を行う銀行に何らかの抑止能力はなかったのだろうか。

数年前山口県阿武町で起きたコロナ給付金の誤送金事件の時も思ったが、あの時も町からある特定の個人に数千万円ものお金が振り込まれる不自然さに銀行が気付き、送金元の町に確認を取っていれば防げた筈だった。今回の送金についても銀行は送金先の口座が不動産取引であるとか、金額に見合うそれ相応のものである事の確認や、より厳格な本人確認は行わないものなのか。顧客の利益を守るためにそれ位の事をしても良いだろうに。

水原氏は大谷選手の結婚を公表よりずっと前に知っていたのだろうが、水原氏からその事実が漏れる事はなかった。その事からも大谷選手の彼への信頼が伺える。そんな信頼を裏切られてしまった大谷選手、だがこれも塞翁が馬として次の幸運につなげて欲しい。