2024年4月9日火曜日

依存症

 水原氏は自らをギャンブル依存症だと告白した。そもそも依存症とはその渦中にいる人は自覚が持てる程冷静ではいられないように見えるが、自覚のある水原氏はまだ軽症なのかも知れない。

翻って、自分自身が何かの依存症になった事があるのだろうかと思い起して見ると、どうも特別何かに入れ込んだ記憶がない。それが凡人の性なのだろうが、逆に何か事を成した人は基本的にそれにのめり込み、自分の人生よりその事の方がより大切だという一種の依存症になった人が多いように思える。

大谷選手は言ってみれば野球依存症ではないか。初めて来たニューヨークの印象を尋ねられて「出歩いていないから分かりません」と答えたというエピソードがある。あのニューヨークへ行っても、名所を歩いたり、名物を食べたり、浮かれる事無く、トレーニングや野球のデータ分析に時間を過ごしていたのだろう。一心不乱に野球に専念する姿は野球依存症そのものに見える。

藤井聡太八冠は将棋依存症だ。一番好きなのは何ですかと聞かれて迷うことなく「将棋です」と答え、二番目は、と聞かれると「そうですね・・・・詰将棋ですね」と答える。では三番目に好きなのはと聞かれて、しばらく考え込んだ後「ううん、詰将棋を作る事です」と答えた。まさに将棋一筋の人生は将棋依存症に他ならない。

モーツァルトは音楽依存症だったような気がする。彼は音楽なしでは生きて行けなかったのではないかと思う。

こうした偉人達と水原氏の違いは何か。それは依存症になる対象と相思相愛の関係の関係になれたかどうかではないか。大谷は野球に愛され、藤井は将棋に愛され、モーツァルトは音楽に愛された。水原氏は残念ながらギャンブルに愛される事はなかった。もっともギャンブルはおそらく誰も愛さないだろうが。

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