2025年3月11日火曜日

追従(ついしょう)

 先日某政治学者の講演を聴く機会があった。冒頭その人は「最近のニュース、特にホワイトハウスからのニュースを見ると呆れるやら悲しくなるやら兎に角暗澹たる気持ちになります。」というような事を言った。

私も似たような気持ちで、暴走するトランプ大統領に対して民主党はただ手をこまねいているだけなのか。共和党にも良識派はいるのだろうが、彼等の動向がニュースにならないのは彼等が何もしていないからなのか、それともマスコミが取り上げないだけなのか。

色々不愉快なニュースが流れるなかで、特に気持ち悪くなったのはトランプ大統領が初めて開いた閣議の様子を報じたものだ。イーロン・マスクの発言にトランプが称賛の言葉を与え、続けて「反対する奴はいるか。いたらすぐここから追い出すぞ」と言うと、居並ぶ閣僚達は皆、追従の笑いを浮かべ手を叩いて賛同、いや服従の意を表した。

政治家などという職業に就く人は人一倍自尊心の強い人達なのだろうが、そんな人達が何故こうも一人の人に媚び諂うのか。中にはどこかの空港の名をトランプ空港にしようとか、ラシュモア山に彫られた4人の元大統領の彫刻の横にトランプの像を追加する事などを提案している議員もいるとか。

追従をする側の気持ちも良く分からないが、される側の気持ちも分からない。心からの称賛と崇敬なら兎も角、追従の奥には侮蔑の念も隠れている。真の尊敬か、それとも単なる追従か、その違いが判断出来ず悩んだ人の気持ちが菊池寛の「忠直卿行状記」に書かれている。この主人公は他者からの媚び諂いに我慢がならず、真意を確かめんがための悪行を重ね、ついには地位も財産も全て失うが、最後には「悪夢より覚めたらんが如く、ただすがすがしゅうこそ思い候え」との心境になっている。

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