2025年3月4日火曜日

生物

 学生時代の友人達と飲むといつも数学や物理が話題の中心になるのは皆理系だからだろうか。先日半年ぶりの飲み会は、この宇宙の別の天体に知的生命体がいるとしたら、彼等はどのような学問体系を築いているだろうか、という話題で盛り上がった。

物理学は恐らく我々と同じような形になっているだろう。宇宙のどこでも万有引力は働いているし、物質の成り立ちも原子核の周りを電子が回っている原子が基本で、電荷が動けば磁場が出来るというのも変わらないだろうから物理学は屹度同じはずだ。原子の存在が同じなら、メンデレーエフの周期表も同じで化学も同じ形態になっているに違いない。しかし、生物学が同じであるとは限らないだろうという事で意見が一致した。

太陽系の外にある系外惑星に生物が生存できるかどうかを判断する指標として「ハビタブルゾーン」などという言葉がある。気温・気圧はこの程度で水が固体にも液体にも気体にもなれないといけない云々。しかしこの発想は生物が全宇宙どこでも地球上にあるものと同じでなければならないという前提に基づいている。なんと貧弱な発想だろう。そもそも地球だって今は好気性生物の天下になっているが、元々は嫌気性生物しかいなかった。もし光合成などというとんでもない事を行うラン藻植物が現れなければ地球の大気の構成は今と全く違うものになっていただろう。今の地球上の生物は様々な偶然が重なった希少生物であると考えるべきだ。別の天体の生物はおそらく二重らせんのDNAなど持っていない。

さて、そうした生物は倫理を備えているのだろうか。生命と倫理に必然的なつながりはあるのだろうか。地球上ではライオンなどを見ると正義は持っていないかも知れないが愛情は持っていそうな気がする。中には正義も愛情も持っていそうにないトランプ某などという生物もいるが。

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