身體髮膚受之父母 不敢毀傷孝之始也
西安は碑林博物館の入り口付近の石碑に書かれたこの言葉を「身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」と即座に読みくだいて、そばにいた現地の中国人ガイドを「お主、やるな」という顔つきにさせた事は今でも楽しい思い出だ。
これには続きがあって「身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは、孝の終りなり」となる事を最近知った。あの石碑にも当然それは刻んであったのだろうが、途中で得意になって続きを読まなかったのは全くの不覚であった。この文言は「仰げば尊し」の「身を立て、名を揚げ、やよ励めよ」の原典になっているそうだが、はて本当にそれは親孝行の究極の目標なのだろうか。
確かに親にとって子の立身出世は何よりも嬉しい事に違いない。そして日本一の立身出世と言えば豊臣秀吉だという事に異論はあるまい。ならば彼の親兄弟は幸福だったのだろうか。秀吉が天下人になってからは、その家族も栄耀栄華を極め、贅沢な衣服に身を包み、多くの人にかしずかれて暮らした。しかしその生活は諸事勝手が違い、言葉使いにも注意を払い、ややもすれば蔑視を感じながらの窮屈なものではなかったか。秀吉の政権安定のため仲睦まじく暮らしていた夫と無理矢理離縁させられて敵国に人質に出されたりした事を度外視しても、決して安穏気楽な生活ではなかったように思う。
それよりか故郷の中村で粗末な小屋でボロ着を着て、方言丸出しで誰に遠慮するでなく、どぶろくを飲んでは大声で笑ったり怒鳴ったりしながら芋の入った鍋をつついている方が幸せだったのではないだろうか。
幸福な家庭の中心に必要なのは富や名誉よりも愛や慈や和などだと思うのは、立身出世とは縁のない身のひがみに過ぎないのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿