2025年7月8日火曜日

警察の民営化

「誰も知らない 世界と日本のまちがい」松岡正剛著という本を読んだ。副題に「自由と国家と資本主義」とあるように、国家とは何かについて考える良い本だった。

奥付を見ると初版が20071220日となっているから、丁度小泉政権が終わった頃になる。当時一世を風靡した新自由主義を意識した記述が多い。社会の様々な機能や組織を民営化して自由に競争させようという考えだ。そこで著者は問いかける。「民営化が最も効果的な機能を社会にもたらすのだとしたら『警察』や『裁判』をどうして民間の競争にしないのか」と。

ここで私は本を閉じ、しばらく考え込んだ。警察の民営化は良い事なのか悪い事なのか。警察と郵政は何が違うのか。私の持論は国家すら民営化して、個人が自由に国家を選べるようにしたらどうか、というものだった。税金が安くて、なおかつ治安の良い住みやすい国家があれば誰でもそこに住みたくなるだろう。そうなるように国家間での競争があって、民営化された国家の経営者たる政治家が互いに切磋琢磨するのが理想の姿ではないか、と。

明確な答えを出せないまま本を開いて読み続けると、そこには仮に警察を民営化したらどうなるかが書いてある。民営化された警察はより強い暴力を持とうとする。つまりは民営化した警察とは暴力団に他ならないのだ。

そう思って世界を見渡してみると、その組織の構成員全員が納得して一定の暴力を持たせる事に合意した組織・機能として警察が存在せず、民営化警察が跋扈しているようだ。ある国はNATO警察に頼り、またかつてワルシャワ機構警察もあったがそれは倒産してしまった。最近はアメリカ警察が業績を伸ばしているようだが、今回のイランへの攻撃などを見ると、やはり公的な警察必要性を感じる。

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