甲子園の準々決勝、県立岐阜商業対横浜戦を見始めたのは丁度延長10回、3点差を追う県岐阜商が1アウト満塁のチャンスを迎えた時だった。そこから劇的なサヨナラ勝ちまでまさに高校野球ならではのハラハラドキドキを楽しませて貰った。
感動ものだったのは試合の内容に加え後で知った事だが、県岐阜商には生まれつき左手に障害を持つ選手がいたとか。しかもその選手は健常者となんら変わる事なく美技でチームの勝利に貢献していたというから、心から拍手を送った。
県岐阜商はそうじゃないと勝手に想像しているのだが、いわゆる野球の名門校には広陵高校のようにシゴキが当り前の体育会系が多いらしい。イチロー選手がいた愛工大名電もご多分に洩れずそうだったらしく、彼がアメリカの野球殿堂入りした際の記者会見で野球人生における一番の思い出は何かと聞かれ、地獄のような高校の寮生活だと答えたそうだ。シゴキに加え、1年生は食事の際に醤油を使ってはいけないとか、風呂もシャワーも使えないとか。もっとも彼はそれを肯定的にとらえ、それがなかったら社会人になって壁を乗り越えられなかっただろうと言っている。
地獄のような辛さを経験する事でその後の人生の艱難辛苦を乗り越える力がつくからと言って、上級生による下級生のシゴキが正当化されるものなのだろうか。私には屁理屈に思えて仕方がない。シゴキに教育的な意味を持たせるのであれば、少なくとも事前にその方針を伝えるべきであろう。そしてまたそのシゴキが許容範囲を超えた時にはいつでも別の選択肢を選べる自由があるべきだろう。地獄に入るのも耐えるのも、全て本人の納得づくなら文句はない。
そうした民主的な運営がなされて、過度な体育会系が自然淘汰され、県岐阜商のような学校が増えて欲しい。