2019年10月29日火曜日

ラグビー


今回のラグビーワールドカップでの日本チームの活躍を見て、四十年近く前、私が初めてラグビーに興味を持った頃の事を思い出した。

当時は大学ラグビーの人気が高く、特に早明戦の人気は凄かった。早稲田はそのスタンドオフ本城に象徴される華麗なパス回しを得意とするチーム、一方の明治は北島監督が進める「前へ前へ」と愚直にひたすらフォワードで押していくスタイル。(私は内心いつも明治を応援していたのだが。)全く対照的なチームが全勝同士で相まみえるというパターンが多かった。

その頃のラグビーと今回のは色んな所で違いがあった。

まずはラインアウト。昔は96532などと数字を言ってボールを投げ入れていた。おそらくそれがサインでボールを投げるタイミング、誰を受け手とするのかなどの意思疎通が行われていたのだろう。人を担ぎあげる事などは許されていなかったのではないか。

得点に関しても昔はトライで4点、コンバージョンゴールで3点だった。ラグビーを良く知らない女の子が試合結果を52と予想するなどという笑い話もあった。

そして一番はラグビー場、昔はあんなに綺麗な芝生ではなかった。花園でも秩父宮でも下は土で、雨でも降ろうものなら選手は泥んこになってプレーしていた。ペナルティキックなどボールを下に置いて蹴る場合は土を搔き集めて小山を作り、その上にボールを乗せて蹴っていた。
英国発祥のゲームはサッカーでもラグビーでも雨でも中止しない。泥んこになってプレーする選手を見た英国人が「どうして中止しないのか」と聞いた。だって英国では中止しないでしょう、と言う日本人に対し「それは下が芝生だからで、泥んこになってまでする事はないじゃないか」との答えが返ってきた。もうそんな屈辱も味わわないで済む。

2019年10月24日木曜日

ウィーン空港の宣伝広告。マスターカードの広告だったかな?
恋こそ人生、人生は恋!
何歳になっても恋を始めよう!なんてウィーンらしくて良いなあ!

絵画鑑賞2

そうそう、クリムトが若い頃は写実的な絵を描いていた、って知ってましたか?これがその一例。ピカソも若い頃写実的だったけど、ピカソよりクリムトの方がうまいと思いました。



絵画鑑賞

最終日ウィーンのベルベデーレ宮殿ではクリムトやシーレの絵を間近に見る事が出来ました。
ここではフラッシュを炊かない事を条件に写真撮影が許されてます。
クリムトの絵とツーショットの写真を撮るなんて日本じゃ考えられない事。もしこの絵が日本に来たら黒山の人だかりになって、「絵の前では立ち止まらないで下さい」というアナウンスが出る事必定!(もっともこの絵は門外不出だそうで、日本へ来ることは残念ながらないと思いますが)
ここではすぐそばまで行って絵の具の盛り上がりまでも見る事が出来ます。これも海外旅行の楽しみの一つ?



2019年10月22日火曜日

体育の日


先日新聞でとんでもない記事に出くわした。「体育の日」が「スポーツの日」になる、というのだ。読んで思わず「バッカモーン!」と叫んでしまった。

記事を以下に要約する。

かつて十月十日だった体育の日は二十年前から十月の第二月曜日になった。それも今年限り。来年は七月二十四日(五輪開催日)が「スポーツの日」となる。日本体育協会はすでに日本スポーツ協会に改称し、国民体育大会も四年後には国民スポーツ大会になる。

同記事にはサッカーの岡田武史氏の「学校体育の中の『右向け右』と、自分で判断しなきゃいけないスポーツは別」という談話も載っている。一体いつから、どうして「体育」が悪者で「スポーツ」が正義の味方になったのか。

元々体育とは「徳育知育体育を併せ行う事を真の教育とする」という方針の下で始まった言葉だ。日本国語大事典には「身体の発達を促進し、運動能力を高めるとともに健康な生活を営む態度を養う事を目的とする教育」とある。一方のスポーツは「もともとは気晴らしにする遊戯をさしたが時代の変遷とともに競争的要素の強い技術的にも高度な運動競技をさすようになった」とあり、ランダムハウス英和辞典にも「気晴らし、暇つぶし、戯れ、冗談、愚弄」などの訳語が当てられている。

ラグビーを見ていると、試合後敵味方なく互いに敬意を表す選手達、試合中のボール処理に見せる知性、そしてフィジカルのぶつかり合いなど、まさに徳育知育体育のすべてが詰まっているように思える。
原発関係の醜聞や権力者に阿て恥じない官僚達が報じられると徳育はどうしたかと嘆きたくなるが、徳育のみならず体育までも葬り去ろうというのか。明治も百五十年を過ぎた。いい加減、盲目的な横文字礼賛は卒業したらどうか。

2019年10月18日金曜日

ウィーンの信号

ウィーンの街を歩いて歩行者用の信号に様々なデザインがある事に気づいた。
勿論日本の信号のように一人の人が歩く姿がある。
だが、どう見ても男が二人手をつないで歩いているのや、女が二人手をつないで歩いているのがある。
オーストリアではLGBTの権利を認める動きが盛んで、ゲイやレズの結婚を制度的に認めるようになり、その流れとして信号にも彼等を受け入れるべくデザインが追加されたとの事だった。勿論、ストレートもある。
(これからは僕の独り言。でもなあ。LGBTを差別するのは絶対いけないと僕も思う。だけどそれを大手を振って、威張ったように権利を主張するのはいかがなものかと思ってしまう。例えば僕が病気になったとする。僕は家族に申し訳ないという気持ちで、「ゴメン、ゴメン」と言いながら、でも一生懸命介護してくれる家族に感謝するだろう。もし僕が威張りだして「俺は病気なんだから、お前たち、三食を二食にしても俺の介護費用を捻りだせ」と主張したらどうだろうか。LGBTが声高に権利を主張するのはなんだかそれに似ているような気がしてしまう。・・・いやいやそんな事を言っちゃいけないよね)




ウィーン ホテル

ウィーンへ着いた。ホテルから外を見ると満月ではないが相応に大きい月が見える。
異国で月を見ると阿倍仲麻呂を思い出して「三笠の山に出し月かも」と感嘆する。
ロビーには現地時間のほかにニューヨークと東京の時間が表示されていた。嬉しかった。
その内に東京は北京にとって変わられるだろうが。
(翌朝、バイキングの会場では中国語が飛び交っていた。しかも彼らは若い!日本人は年寄りばかり。この差は一体何だ!!)


2019年10月15日火曜日

台風その後

十三日未明、雨戸を開けると南の空に満月が煌々とかかっていた。有難い事に今回も大きな被害を受けることなく台風は過ぎ去ったようだ。

台風19号、915hPaというとんでもない強さに風の被害を恐れた。しかもその予想ルートはかつて昭和二十二年に関東地方に大きな被害をもたらしたカスリーン台風と良く似たコースをたどっている。カスリーン台風の時は利根川の堤防が決壊し、我家の周りの電柱にはその時の水位を表示する赤いテープが巻いてある。気象庁はこれまでに経験した事のないような大雨への警戒を呼び掛けているし、しかし利根川が決壊でもしようものならもはやお手上げ、なすすべはないと思われた。

それでも最低限の準備として、ありったけのペットボトルに飲み水を入れ、浴槽には水を張り、スマホやパソコンを予備電源も含めてフル充電し、ガソリンを満タンにして非常食として缶詰やカップ麺を買い込んできた。スーパーの棚で残りまばらになっているのを見ると、つい必要以上にカップ麺を買ってしまう。

それにしても十月に入ってから何度か買い物をしているが、いまだキャッシュレスによるポイント還元の恩恵に与っていないが、どうしてだろう。イオンやヨーカドーなど全国区の大企業は対象外で仕方ないが、左程メジャーではないと思われるスーパーで最近クレジットカードの受付を始めた店でもポイント還元がない。何のためのカード導入だったのか。

ポイント還元のためには一日平均八億円の税金が使われているとか。その恩恵を受けている人も沢山いるんだろうなあ。

夜が明けて各地の被害状況が明らかになってきた。食卓の上で山盛りになっているカップ麺を見ながらため息をつく幸せに感謝しなければと思った。

2019年10月11日金曜日

台風

昭和22年のカスリン台風、今回の台風19号と進路が似ているのが気になる。大きな被害が出なければ良いが。
利根川には決壊(潰の字が本来?これはつぶす、つぶれるという意味があるらしい。胃潰瘍が胃の一部がつぶれちゃうんだね)した場所には記念碑が立っている。とおく筑波山が見えるのが分かるかな?
ちなみに利根川水系には根利川って川があるんだね。群馬県の奥の方らしい。それにしても紛らわしい。



2019年10月8日火曜日

動機の解明


京都アニメーション放火事件の被害者の一人、二十歳代の女性が亡くなったと報じられた。この事件の実行犯と目される容疑者は手厚い治療を受けて一命を取り留め、意思疎通の可能な状態まで回復したとされている。悲劇の元を作った人とその被害者のあまりに不釣り合いな結末が残念だ。容疑者は集中治療室で皮膚移植まで受けたらしい。警察は多額の税金を使ってでもどうしても容疑者の命を繋ぎ留めたかったようだ。その口から動機や経緯を聞き出したいためなのだろうが、なんとも違和感を禁じ得ない。

なにか事件が起きるたびに「警察は動機の解明に全力を挙げています。」と言われる。えっ?動機の解明?それはそんなに大事な事なの?確かに刑法上、殺意は殺人の成立要件だから殺意を証明するために動機の解明が必要なのは分かる。

しかし事件の捜査で本当に大切なのは事実関係の解明であって、動機の解明ではないはずだ。犯人の特定、凶器の特定、凶器の入手から殺害に至る経緯の特定、そういう事が出来れば、動機はたとえ明確でなくとも、状況によっては未必の故意で殺人罪の適用は可能だ。和歌山カレー事件では動機どころか未必の故意すら立証できなかったように思う。

動機の解明のためかどうか、容疑者や被害者のプライバシーが情け容赦なく暴かれるのにも違和感を覚える。容疑者がどういう少年時代を送ったか、どんな日常生活を送っていたか、近隣との付き合いがどうだったか、など犯行そのものとは関係ないのではないか。組織的犯罪なら次の事件の再発防止のために必要な事なのだろうが。
さいたま市見沼区の小学生殺害事件は、両親の年の差、職業、など出歯亀的興味を誘うがその後の報道はあまり多くない。それが残された母親へのせめてもの救いのように思う。

2019年10月2日水曜日

日帰り旅行

某有線テレビの招待で、甲斐路への無料日帰り旅行。
田原の滝、初めて行きました。滝の上を電車が通る、という事が話題のようですが、確かに滝の上に線路が見える。富士急の線路です。
ここへ来るまでに踏切を渡るんだけど、その踏切の遮断機は自分で上げて渡るんです!!
遮断機が上がっている間は電車が止まって待っているので、渡り終わったら遮断機を下げて下さい、と謙虚な看板が立ってます。
大体開かずの踏切だー!と電車が威張っているのはおかしいよね。電車も大事だろうけど、もっと歩行者や車に思いやりがあってもいいんじゃないの?


富士山

富士山を撮るならここが一番?
山中湖花の都公園。百日草とキバナコスモスが咲いてました。
行ったしるしに自分も入れてパシャ!顔が邪魔??そうだよね。


2019年10月1日火曜日

番狂わせ


番狂わせなんて言ったら選手達に失礼だと思った。ラグビーの対アイルランド戦、スクラムも負けてなかったし、実力で勝ち取った見事な勝利だった。まさか相手が日本与し易しとみて油断していた訳ではあるまいが。驚いたのは前半何分だったのだろう、日本は自陣22メートルライン内側でボールを取った時、当然キックで陣地を回復するのだろうと思ったら、なんとボールを回して来た。まるで平幕を相手にした横綱みたいだ。

試合後のインタビューも面白かった。リーチマイケルは当然流暢な日本語を話すし、トンプソンルークも下手だが日本語で答えた。そういえば二人とも姓名の順で名前が表記されている。アイルランドは選手もコーチも英語を使っていたのに驚いた。こういう時はアイルランド語を話すのではないのか。

イギリスを旅行した時、湖水地方のウィンダミア湖を渡る船でたまたまアイルランドのダブリンから来たという二人組の婦人と隣り合わせになった。一人の話す事は良く分かるがその隣にいるご婦人の言葉が一言も聞き取れない。今にして思えば片方の人はアイルランド語を話していたのではないか。英語とアイルランド語はその地理的近さからせいぜい津軽弁と薩摩弁の違い程度だろうと思っていたがとんでもない。例えば「こんにちは。Dia duit. (ジア グチ)」「どうもありがとう。 Go raibh maith agat. (ゴ レ マハガト)」と言った調子だ。英語とドイツ語以上に違う。

日本チームにもう少し生粋の日本人が沢山いたらと思ったが、いやいや偏狭なナショナリズムからは卒業しよう。リーチマイケルは日本に来て根性を学んだとか。目立たぬ所で練習を重ねるなど、日本人以上に日本人らしい精神を持っているのだから。