先日新聞でとんでもない記事に出くわした。「体育の日」が「スポーツの日」になる、というのだ。読んで思わず「バッカモーン!」と叫んでしまった。
記事を以下に要約する。
かつて十月十日だった体育の日は二十年前から十月の第二月曜日になった。それも今年限り。来年は七月二十四日(五輪開催日)が「スポーツの日」となる。日本体育協会はすでに日本スポーツ協会に改称し、国民体育大会も四年後には国民スポーツ大会になる。
同記事にはサッカーの岡田武史氏の「学校体育の中の『右向け右』と、自分で判断しなきゃいけないスポーツは別」という談話も載っている。一体いつから、どうして「体育」が悪者で「スポーツ」が正義の味方になったのか。
元々体育とは「徳育知育体育を併せ行う事を真の教育とする」という方針の下で始まった言葉だ。日本国語大事典には「身体の発達を促進し、運動能力を高めるとともに健康な生活を営む態度を養う事を目的とする教育」とある。一方のスポーツは「もともとは気晴らしにする遊戯をさしたが時代の変遷とともに競争的要素の強い技術的にも高度な運動競技をさすようになった」とあり、ランダムハウス英和辞典にも「気晴らし、暇つぶし、戯れ、冗談、愚弄」などの訳語が当てられている。
ラグビーを見ていると、試合後敵味方なく互いに敬意を表す選手達、試合中のボール処理に見せる知性、そしてフィジカルのぶつかり合いなど、まさに徳育知育体育のすべてが詰まっているように思える。
原発関係の醜聞や権力者に阿て恥じない官僚達が報じられると徳育はどうしたかと嘆きたくなるが、徳育のみならず体育までも葬り去ろうというのか。明治も百五十年を過ぎた。いい加減、盲目的な横文字礼賛は卒業したらどうか。
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