2019年10月8日火曜日

動機の解明


京都アニメーション放火事件の被害者の一人、二十歳代の女性が亡くなったと報じられた。この事件の実行犯と目される容疑者は手厚い治療を受けて一命を取り留め、意思疎通の可能な状態まで回復したとされている。悲劇の元を作った人とその被害者のあまりに不釣り合いな結末が残念だ。容疑者は集中治療室で皮膚移植まで受けたらしい。警察は多額の税金を使ってでもどうしても容疑者の命を繋ぎ留めたかったようだ。その口から動機や経緯を聞き出したいためなのだろうが、なんとも違和感を禁じ得ない。

なにか事件が起きるたびに「警察は動機の解明に全力を挙げています。」と言われる。えっ?動機の解明?それはそんなに大事な事なの?確かに刑法上、殺意は殺人の成立要件だから殺意を証明するために動機の解明が必要なのは分かる。

しかし事件の捜査で本当に大切なのは事実関係の解明であって、動機の解明ではないはずだ。犯人の特定、凶器の特定、凶器の入手から殺害に至る経緯の特定、そういう事が出来れば、動機はたとえ明確でなくとも、状況によっては未必の故意で殺人罪の適用は可能だ。和歌山カレー事件では動機どころか未必の故意すら立証できなかったように思う。

動機の解明のためかどうか、容疑者や被害者のプライバシーが情け容赦なく暴かれるのにも違和感を覚える。容疑者がどういう少年時代を送ったか、どんな日常生活を送っていたか、近隣との付き合いがどうだったか、など犯行そのものとは関係ないのではないか。組織的犯罪なら次の事件の再発防止のために必要な事なのだろうが。
さいたま市見沼区の小学生殺害事件は、両親の年の差、職業、など出歯亀的興味を誘うがその後の報道はあまり多くない。それが残された母親へのせめてもの救いのように思う。

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