2019年11月28日木曜日

津和野4

津和野お勧めの最後は堀庭園。津和野から少し離れた山中にあるかつての実業家の家。昭和三十年代に当時の島根県知事からの手紙が展示してあったから、つい最近まで実際に住まれていたのだろうと思います。
庭園や書院造りの建物も良く整備保存されていて、ゆっくり畳の上で寝転がるのも良いでしょう。



津和野3

津和野のお勧め三番目は永明寺。これで「ようめいじ」と読みます。
津和野藩主亀井家の菩提寺で、津和野が生んだ文豪森鴎外の墓もあります。
また亀井氏が来る前までの藩主で津和野城を築いた坂崎出羽守の墓もあります。
坂崎出羽守は大坂夏の陣で千姫を助けたが、助けた者には千姫を嫁がせるという家康の約束を守って貰えず、逆に切腹を仰せつかり、あまつさえ御家断絶の憂き目を見たという悲劇の武将。千姫が「あの人の元に嫁ぐなんて!まっぴらごめん」と言ったからというけど、あまりに酷いじゃない!と思ってた。
だけど、津和野に来て本当の理由が分かった。坂崎はもと宇喜多を名乗っていて、実際宇喜多秀家の従兄弟に当たるのだとか。宇喜多秀家は関ケ原の戦いで石田三成側で大いに戦った人。その従兄弟がオメオメと豊臣を滅ぼす戦いに参加したことが家康は許せなかったのではないだろうか?というのが僕の推察です。どうかな?
しかし、この寺、傷みがひどすぎる。堂内には雨漏りの跡さえある。はやく手当しないと取り返しがつかないのではと心配!



津和野2

津和野二番目のお勧めが太鼓谷稲荷神社。
普通にワープロで変換すると上記の記述になりますが、正式には鼓の字の作りは支でなく皮。稲荷の荷は成の字を書きます。
津和野城跡へ上るロープウェイの乗り場からすぐ横に立地し楽に行ける。昔は鳥居が何百本も連なった参道を歩いてお参りしたものだそうですが。
この大きな社もかつてはうんと小さいものだったとか。日本遺産センターへ行くと江戸末期、明治初年のこの社がうんと小さく描かれています。その絵を見て、またそこの学芸員さんとお話するとためになる話が一杯聞けます。



津和野1

小中学校の同窓生仲間で津和野へ行きました。
津和野のお勧めをご紹介します。
まずは津和野城跡。城郭は残念ながら残っていませんが天空の城と言ってよい立地は見もの。兵庫県の竹田城も行ったけど、津和野の方が断然良い!天守閣は江戸時代に落雷で焼失して再建されなかったそうだけど、それ以外の櫓などは明治維新で取り壊されたとか、なんと勿体ない!
紅葉も綺麗でした。(顔が邪魔かも知れないけど失礼します。)




2019年11月26日火曜日

麻薬


沢尻エリカの映画は二つ見た。「パッチギ」の清純可憐な女生徒像には大きく心を動かされた。「ヘルタースケルター」は恥ずかしながら性的な好奇心だけで画面を追って、ストーリーや内容は殆ど記憶に残っていない。現実の彼女の実像は知る由もないが、恐らくは感情の起伏が激しく、その手の組織からは狙われやすい性格なのではと推察する。

麻薬や覚醒剤がどれほど強いものか知らないが、毎晩お酒の誘惑に抗えないでいる身には他人ごとには思えない側面もある。もし日本で禁酒法が施行されたら、それを守るだけの強い意思が自分にはあるのだろうか。いやいや、車を運転する事が分かっている時には決してアルコールには手を出さないのだから恐らく大丈夫だろう。

麻薬や覚醒剤を禁止する法律の保護法益の一番は、個人の健康ではなく、それが蔓延する事による社会の混乱や停滞の防止である事は、清朝末期の中国がアヘンで苦しんだ事からも分かる。だからそれらを常用する事より、人に勧めたり製造流通させたりする事の方が遥かに罪は重い。だがそれを国家ぐるみでやった国がある。言わずと知れたイギリスだ。

国家犯罪と言えばナチスによるホロコーストを思い出すが、イギリスが中国にアヘンを流通させたのはそれに匹敵するくらい酷い事だと思う。歴史認識だとか過去の罪を謝罪しろだとか、色々言われるがイギリスが中国に謝罪したという話を聞かない。勝てば官軍だから?ならばベトナムに枯葉剤を撒いて奇形児を作ったアメリカはどうか。イギリスが中東パレスチナで行った二枚舌三枚舌外交は詐欺そのもので、それは未だに禍根を残しているが、それが謝罪されたという話も聞かない。

夜酒を飲みながら、沢尻エリカのニュースを聞き、国際政治の不合理さに八つ当たりした。

2019年11月19日火曜日

せこい

数年前テニス仲間で「舛添ショット」という言葉が流行った。コートの後方で構えている相手に対して、ボールをネット際にポトリと落とす所謂ドロップショットを表現したもので、要するに「せこい」という訳だ。勿論テニスでは立派な戦術で高度の技術を要し、決してせこい訳ではないのだが。昨今なら「健作ショット」とでもなるのかな。桜を見る会だって見方によれば結構せこい。
語源辞典によれば「せこい」は「こせこせする」とか「こせつく」の「こせ」を逆にして、形容詞形にしたものだそうだ。それにしても、お金に困っているとはとても思えないような人が、わずかなお金のために折角の名声を犠牲にしてしまうのは理解に苦しむ。舛添さんの場合は気鋭の政治学者として名を売り、政界に進出してからは一時は与謝野馨氏と人気を二分する程の期待を博し、全てが順調だったはずなのに、ホテル三日月や中国土産などですっかりケチをつけてしまった。
その舛添さんが政治学者として優秀である事を示す本に出会った。最近出版された「ヒトラーの正体」という本がそれである。あれだけ優秀なドイツ民族がどうしてあのようなモンスターを産んでしまったのか、そして丸め込まれてしまったのか。その疑問にかなり的確に答えてくれる。
この本で初めて知ったのは、ヒトラーはオーストリア生まれでドイツ国籍を取得したのは首相になるわずか一年前だったという事、ユダヤ人迫害の背景にはローザ・ルクセンブルグなど11月革命で第一次大戦敗北の原因を作ったのがユダヤ人だったという匕首伝説がある事など。引用文献には原本に引用箇所が記載されている頁数まで明記してあり、著者の誠意を感じた。この本は決してせこくない。一読をお勧めする次第である。

2019年11月12日火曜日

五輪出場

「オリンピックは参加する事に意義がある」。私が子供の頃はそう教わってきた。勝ち負けに拘らず、各国選手達と交流を深め、平和の大切さを実感する事がオリンピックの意義だ、というように理解していたが、昨今のオリンピックはメダルを取る事に意義があるというふうに変わってきたようだ。
そもそも「参加する事に意義がある」というのは参加する人が少なくて、選手に参加を呼び掛ける標語だったみたいだ。クーベルタン男爵が古代ギリシャのオリンピックを近代に甦らせようと苦労した経緯はその伝記に詳しいだろうが、初期の開催期間を見ても分かる。第一回アテネ大会は189646日から15日まで、これはまあ理解できるとして、それ以降第二回パリ大会は520日から1028日まで、第三回セントルイス大会は71日から1123日まで、第四回ロンドン大会は427日から1031日までと言った具合で開催期間が異常に長い。これは同時に開催された万国博の余興として行われたからだ。五輪が万博の余興?!今では考えられない状況だが、おそらく選手も集まらず、お金も集まらなかったのだろう。優勝した選手に賞金も出せないからメダルで誤魔化した、などと思うのは下種の勘繰りだろうか。
今やオリンピックは絶大な権威を獲得し、参加したい選手が溢れている。賞金を貰えなくても良いから兎に角出たい、というのだから凄い事だ。ならば当初の標語を思い出して、参加する意義を再認識して、参加したい人は全員参加させれば良いではないか。大会運営の都合もあるだろうから一定の基準をクリアした人という線切りは必要だろうが、個人出場枠の創設を提案したい。卓球やマラソンや柔道など出場枠が限られている選手たちを見ると可哀そうだ。

2019年11月6日水曜日

改元の政令

昭和から平成になった時、改元の政令には平成天皇が署名された。平成から令和になった時も平成天皇。次の元号が決まった時はまだ平成だったから当然と言えば当然。だが本来改元の政令は新しい天皇が署名すべきものの筈。令和になった時の署名は心なしか元気がないような気がするが・・・・

日本頑張れ

現在国立公文書館では「行幸ー近現代の皇室と国民」という展示をやってます。(入場無料、11月10日まで)明治維新以降、天皇の行幸にあたっての通達や勅書などが展示されてます。終戦後の最初の正月に昭和天皇が出された「新日本建設に関する書」に感激しました。

旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし
我国民が時艱に蹶起し当面の困苦克服の為に又産業及文運振興の為に勇往せんことを希念す。我国民が其の公民生活に於て団結し、相倚り相扶け、寛容相許すの気風を作興する於ては能く我至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。

良いじゃないですか。




失われた二十年が過ぎても元気のない日本、戦後焼け野原から立ち直った時を思い出して、もう一度頑張れ!日本!

2019年11月5日火曜日

カルチャーラジオ


NHKのラジオ第二放送でカルチャーラジオという番組がある。毎晩八時半から九時まで歴史、芸術、文学、科学などの分野で識者が最新の話題や研究成果について話をする。NHKには色々文句を言いたい事が多々あるが、この番組は気に入っている。

テーマの選び方にセンスがあると思う。数年前文学の分野でボブ・ディランを取り上げていた。その時は内容があまり好みに合っていなかったので二三回だけ聴いて辞めてしまったが、その数か月後にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞し、我慢してちゃんと聴いておけば良かったと後悔したものだ。

そして今年のノーベル賞、物理学賞を取った系外惑星の話はつい最近テーマになったものだし、それに前後してテーマとなったリチウムイオン電池はなんと吉野彰氏ご自身が講師を務められた。ノーベル賞受賞者が自分の声で話す番組などはそう滅多にあるものではない。これもそうと分かっていればもっと熱心に聴いたのに。覚えているのは、成功した研究の裏に何百もの失敗が隠れている事、技術的完成が必ずしも市場での成功を意味しない事、最近の電池は過充電しても寿命に影響がない事、などか。それまでは過充電を恐れて、ほぼ完全に放電するまで充電を控えていたが気にしなくて良いようだ。

系外惑星の話の時は最近の観測技術の凄さに驚いた。恒星の前を惑星が横切る時の僅かな光量の変化を捉えたり、惑星の引力による恒星の動きのドップラー効果の波長変化を捉えたり、信じられないような事が今は可能になっているのだと。
これらの放送はSDカードに録音して散歩のお供に聴いているのだが、思えば指の爪ほどの大きさのカードに昔ならカセットテープ何十本分もの録音が出来るのだから、技術の進歩は凡人の想像を超える凄いものだ。