2020年6月2日火曜日

デジャヴ


日本語で既視感と言えばいいのだが、敢えてフランス語を使ってみた。デジャヴ(デジャビュとも)、初めて来た場所の筈なのに何故か前にも来たことがあるような感じ、前にも似たような事があったような、最近何度かこのデジャヴを味わった。
まずは自粛警察。営業を続ける店舗に対して貼り紙をして嫌がらせをしたり、他県ナンバーの車にいたずらをしたり。その様は戦時中、ちょっとしたおしゃれをして街中を歩く若い娘さんに対して説教したり嫌味を言った割烹着にモンペ姿のおばさん連の姿と重なる。どちらも強い正義感が根底にある。だから正義って嫌いだという人も出てきそうだ。自粛警察に少しだけ救いを感じたのは貼り紙の文言が「オミセシメロ」と敬語付きだったから。「ミセシメロ」だったら救いがなかった。
次は知事会。幕末の参預会議が思い浮かぶ。幕末の混乱期、政治の表舞台に立つ人が老中の阿部正弘や堀田正睦などから次第に松平春嶽や山内容堂・伊達宗城などに替わって行った。今でいえば中央官庁の大臣から地方の知事へという流れか。この流れで地方分権が進んで行けば良いと思うが、財源が中央に握られている限りはそうもいかないだろう。
営業自粛による休業補償も前に同じような事があった。農家の減反政策だ。仕事を休んだらお金をあげる。構図は全く同じ。緊急時だからやむを得ないにしろ経済学に反するこんな事が長く続けば食管会計どころか国全体がおかしくなってしまう。
検事長の賭けマージャン事件は全く逆のケースだった。かつては法を守るため餓死した裁判官もいたというのに。司法を預かる者がヤミ米を食べるわけにいかないと。もし黒川氏が検察庁法に反するからと言って定年延長を固辞していたらデジャヴの一つになった、かも知れない。

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