先日NHKで「僕が性別ゼロになった理由(わけ)」というドキュメンタリーが放映された。女性の体を持って生まれたある男性の苦悩を描いたものだった。幼少の頃は少女として育てられるが、中学生になると性同一性障害として男性と認められ、高校では名前も男性らしいものに変え男性として過ごした。そして手術可能な年齢になるのを待って(法律で制限されているらしい)乳房を切除し、子宮を摘出する。
自分の体を嫌悪するとは何と不幸な事だろう。私も下腹の出た自分の体を好きではないが、それでも少しでも体型を見栄え良くしようと焼け石に水のような努力をするのは基本的に自分の体を愛しているからだ。体と心の性が違うとはどういう事なのだろうか。
幸い私は体も心も同じ性だ。と思っている。体の方は外見上見れば分かるので特に問題はないが、心の方はどうか。性同一性障害の人が体と違う性を心の性として意識するのはどうしてだろう。今まで自分の心の性など自明の事として顧みる事もなかったが、改めてどうだろうかと考えて見た。
内田樹著「疲れすぎて眠れぬ夜のために」という本がある。その中に「男が欲しがるもの、名誉、権力、威信、情報、貨幣、女が欲しがるもの、健康、自然、愛、平和」というくだりがあった。これを読んでひょっとすると私の心は女ではないかと疑った。この基準なら少なくとも河井案里氏の方がずっと男っぽい。でも子供の頃はままごとより追いかけっこの方が好きだったし、そして何より間違いなく男だと思うのは性欲を感じる対象が女性だと言う事だ。
NHKの番組で性欲について語られる事はなかった。しかしその人がどうやって自分の心の性を決めているのかは知りたかった。レズやゲイの人は矛盾を感じていないのだろうか。
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