それを見た時は開いた口が塞がらなかった。ワイドショーが山口県阿武町での住民説明会の様子を報じていた。プロジェクターで大きく映された説明資料には4630万円と書くべきところが460万円、5月20日のはずが4月20日と誤記されていた。枝葉末節の変換ミスならともかく、一番肝心要の箇所のあり得ないような間違いだ。連日の対応に心身をすり減らしていたと仮にしても、事件の経緯からしても考えられない不注意さだった。
この緊張感のなさはどこに原因があるのだろうか。この事件だけではない、持続化給付金を巡る詐欺事件にしても、コロナワクチンの使用期限が切れて大量の在庫が無駄になった問題にしても、公金を扱う役人の能天気さ無責任さが気になる。どうせ自分のお金ではないのだからと思ってないか。自分のお金なら送金する際に何度も相手の口座番号や金額を確認するだろう、自分のお金で買う薬なら発注に細心の注意を払うだろう。仮に間違っても自分の懐は痛まない、損失は公金で補填すれば良い等という安易な気持ちがミスや無駄を誘発しているとしか思えない。
こんな人達に財政を任せておいて大丈夫なのか。コロナやウクライナ戦争によるインフレ等への対策と称して、箍が外れたように国債が発行され、湯水のように給付金が垂れ流しされる。さらに国防費も国債発行で倍増されるらしい。本当に国家財政は大丈夫なのか。民間企業も先行投資の為に借金をするが、失敗したら首を括らねばならないという危機感が一定の歯止めになっている。国策を担当する人達にも、もし失敗したら職を辞する程度では済まない損を負う事になるという当事者意識を生む仕組みがないと、いつかこの国は破綻するのではないだろうか。
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