2023年1月31日火曜日

中国式民主主義:トライアングル第802回

 中国はその政治体制を欧米から非難される度に「欧米流の民主主義だけが民主主義ではない。中国には中国流の民主主義があるのだ」という反論をする。その言わんとするところを慮るに「民主主義で大切なのは人民を幸せにする事であって、政権選出の手続きではない」という事なのだろう。言葉を替えれば「民主的な手続きで選ばれた政権が身内ばかりを優遇し、公平さを欠く政治を行う(例えばモリカケや桜を見る会にはその一端が垣間見える)のと、有徳の独裁者が人々の幸福のために公平な政治を行うのとどちらが良いのか」という事だろうか。

新年にご紹介した中国の大河ドラマ「永楽帝」で次のような場面があった。中央から派遣された役人が地方住民に横暴を働くのを知って時の皇太子(父の皇帝の補佐役として実質的に政治を切り盛りしている)が「明では民を虐げることも、皇帝を欺くことも許さん」と怒る。また身勝手な行動をした弟を罰として鞭で打ちながら「皇家に私権なし」と叫ぶ。皇帝の子として生まれ、皇太子の弟である自分の立場を弁えて身を慎め、と言うのだ。

どちらの台詞も習政権の思いを代弁しているのだろう。多くの民が貧困に悩む現状を打開するためには言論の自由が多少犠牲になっても仕方ない、と言ってるようにも聞こえる。

民主的手続きが大事か政治の結果が大事か、という中国の問題提起に対し、皆様の答えはどうだろう。私はやはり前者が大事、人間にとって経済的な豊かさより自由の方が重要だと思っている。

(新年の回で永楽帝が兄と皇位を争ったと書きましたが、間違いでした。兄の朱標は即位する前に皇太子の身で死去し、洪武帝崩御の後はその子つまり永楽帝にとっての甥が即位し、その甥と争って皇位を奪ったのが正しい。お詫び訂正します。)

2023年1月24日火曜日

大河ドラマ:トライアングル第801回

 今年のNHKの大河ドラマの主人公は徳川家康だそうな。またか、と若干食傷気味である。視聴率を上げたいためだろう、他の番組でもそれを紹介するような放送をしているのが余計気に障る。大河ドラマの題材になり得る、海外にも誇れる偉人が他にも沢山いそうなものなのに。

その国の歴史の深さとは、どれだけの偉人を輩出してきたかによって測られるのではないか。他の国の歴史にそれほど詳しい訳ではないが、ローマの五賢帝とか中国四千年の歴史など多数の主役候補が居そうな厚みを感じる。大河ドラマの主人公が同じ人に偏ってしまうと、日本の歴史が浅く薄っぺらなものの様に感じられて悲しくなる。

過去の大河ドラマの記録を見ると、1963年の「花の生涯」に始まって今年で62作品のうち、戦国時代を扱ったものが25作品もある。毛利元就や伊達政宗が出ない戦国物はあり得ても、家康が出て来ない戦国物はあり得ないだろうからその全てに家康は顔を出しているはず、食傷気味にもなろうというものだ。二番目に多いのが幕末・明治維新で14作品。この二つに忠臣蔵、源平合戦を合わせると50作品で実に全体の8割にもなってしまう。

聖徳太子、中大兄皇子、桓武天皇、藤原道長など素材はいくらでもありそうなのに、そういう人達が取り上げられないのは何故か。時代が古いと史料も少なく、史実が明らかでない部分もあるから難しいのか。逆に時代があまりに近いと、まだ生存している関係者もいたりして差し障りもあるのかも知れない。最も新しい昭和の時代をテーマにした作品の主人公が女医であったり陸上選手であったりして政治色が薄いのはそうした配慮からだろう。

まあそんな事を言わずに、日曜の夜一献傾けながらほろ酔い気分で聞き流せばよいか。

2023年1月17日火曜日

民主主義指数:トライアングル第800回

 民主主義と権威主義の戦いの時代だそうだ。権威主義の国としてはロシア、中国、イランなどが想定され、日本は民主主義国の一つとして彼等と対峙する事を求められている。中国も自らを民主国家と主張するが、果たして民主主義とは何か。

イギリスのある研究所が定める民主主義指数なる指標があるのを知った。それによると日本は10点満点中8.15で「完全な民主主義」に分類されている。因みにお隣の韓国は8.16で日本より上にランクされ、イギリスは8.10で日本の下、アメリカは7.85で「欠陥のある民主主義」だそうだ。

詳しい事は分からないが各国の政治状況を「選挙過程と多元性」「政府機能」「政治参加」「政治文化」「人権擁護」の五つの観点から10点満点で評価し、その平均を取っているようだ。日本は「政治参加」の項目が6.67と低く評価され全体を引き下げている。選挙の投票率の低さなどが影響しているのか。イギリスやアメリカは「政治文化」が6点台で低いのだが、具体的になにが悪いのか、二大政党制が悪いとでも言うのだろうか。

細かい分析は別にして大局的に考えると、真の民主主義とは平和裏に政権交代が実現し、現政権が交代の可能性に十分な配慮をし、その危機感の上に真摯に公正な政治を行う事ではないか。長期政権に胡坐をかいて恣意的で放漫な政権運営は、仮に手続きが民主的に成立したとしても真の民主国家とは言えないのではないか。

森友学園の籠池夫妻に実刑判決が確定した。夫妻をかばう気持ちは毛頭ないが、その犯した罪と刑のバランスは客観的に見て妥当なのだろうか。公務員がカラ出張などで税金を詐取した場合は返金すれば罪そのものがなかったかのような扱われ方をするのに比べ重すぎはしないか。その不公平は民主主義の国に似合わない。

2023年1月13日金曜日

食パン1斤

 買ってきた食パン1斤を測ってみた。360g弱ある。(計量は360gだが、袋の重さを引くので)本来なら

1斤=160匁=約600g

だそうだが、パンが欧米からやってきた時のドタバタではっきりしなかったのを、日本パン公正取引委員会が1斤の定義は340g以上と定めたのだとか。
さて、この量だがこれを一日で食べるとしたら多いか少ないか?



第二次大戦後シベリア抑留された人達へ配給されたパンの量は以下の通り

舞鶴の引揚記念館へ行ったら、その展示に「ロシアの収容所で配布される食糧は黒パンが1食あたり400gのはずが、1日分だったりする。」とその配給の少なさが強調されていたが、1日食パン1斤あれば十分のような気がする。
これは何かの間違いとしても「収容所から来た遺書」辺見じゅん著には「収容所の食事はひどいもので一日に黒パンが350gと朝夕に野菜の切れ端が二三片浮かんだ塩味のスープ、砂糖が小さじ一杯」とある。こちらでも毎日1斤程度のパンが配給されていた訳だ。
新宿の住友三角ビルにある「平和祈念展示資料館」では一日に黒パン200~250gとあった。これが一番近いのではないか。
それにしても食パン1斤の半分より多くの支給があった事になる。我々が食べる食パンと、当時の黒パンとは全く違うものなのだろうか?

2023年1月10日火曜日

新年:トライアングル第799回

 あけましておめでとうございます。皆様どのような新年をお迎えだったでしょうか。

友人からの便りによれば出雲地方は12月中旬から雨と雪が続き、テニスも出来ずストレスの溜まる日々だったとか。それに比べて関東地方は年末年始と良く晴れて風も穏やかな日が続いた。南側の部屋は日中は温室にいるかのような暖かさで、陽だまりに足を投げ出して本を読んでいるとついウトウトと眠気に襲われる。ウクライナではミサイル攻撃におびえながら、暗い部屋で寒さ震えて新年を迎えた人もいるかと思うと、なんだか申し訳ない気持ちにもなってきた。

新聞に某コンサルタント会社が発表した2023年の世界の10大リスクの記事があり、その1位はロシア、2位は中国だった。中国の習近平主席は去年、露骨なまでの独裁体制を築いたが、その目指すところは世界に冠たる偉大な中国の復活であろう。清が異民族による王朝だった事を考慮すると、彼の目標は明の全盛を築いた永楽帝の時代であろうか。

だからかどうか知らないが、某有料チャネルでは永楽帝を主人公にする中国の新しい大河ドラマが始まった。第一回の放送で後に永楽帝となる朱棣少年は既に宮廷にいた。父である朱元璋・洪武帝が乞食から皇帝に登り詰める物語にも興味があるがそれはまた別の大河ドラマになってしまう。永楽帝と言えば、兄と皇位を争って勝利し、首都を南京から北京に移した事、鄭和を派遣しコロンブスより約百年も前に大航海を実現した事くらいしか知らないので今後の展開が楽しみだ。屹度そこには習主席の思いも透けて見えるだろう。

トランプ前大統領もそうだったが「偉大」を口にする元首はどこか危ない。そう言えばプーチンもピョートル大帝を口にする。真の偉大さには徳があり周りに迷惑を掛けない筈なのだが。

2023年1月3日火曜日

東海道の不思議


 BS-TBSの「関口宏の中世史」を見ていて源頼朝が奥州藤原氏を攻める時「東海道軍、中央軍、北陸道軍」の三つに分かれて進軍したと知った。えっ!?鎌倉から北へ東海道?!

三つの軍の名前は番組担当者が勝手につけたものではなく、吾妻鑑にそう書いてあるのだろう。つまり吾妻鑑を書いた人は鎌倉から東北に向かうそのルートを「東海道」と認識していたという事だ。



東海道とはどこからどこまでと言うのだろう?江戸時代の東海道五十三次は日本橋から京都の三条大橋までを言ったと記憶するが、鎌倉時代の江戸は荒れ地の未開地であったろうからそこが終点になるなんて事はなかったろう。

今の千葉県を構成する上総と下総の位置関係を見ると、上総の方が南にあるから、京都から来た時、上総に先ず来て、その後に下総へ行った事になる。つまり東京湾の東側こそメインの通りで西側は普通は通らなかったのだ。家康が開拓するまで江戸の地は湿地でまともに通行も出来なかったのではないか?

百科事典で「東海道」を引いてみると次のような説明がある。

「東海道:五畿七道の一つ。伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、安房、上総、下総、常陸の14カ国を言う。後に武蔵が加えられた」

頼朝が平泉へ向かった時も東海道軍は三浦半島から海を渡って房総半島へ上陸し、安房、上総、下総、常陸と通って行ったに違いない。だから番組で紹介された図の線はもう少し右にずらして描かないといけなかった。

そしてまた改めて確認すべきは東海道とは元々、道ではなく、国の集合、地域の名前だった事だ。

そりゃそうだ、例えば北海道なんて道はない。北海道は地域の名前だ。

これは古代において朝鮮からの輸入の名残と思われる。朝鮮八道と言われる、慶尚道、全羅道、等々それらは道ではなく、地域を表している。それが日本ではいつの間にか道沿いに国を管理するようになって、地域の名前と道の名前が混同されるようになった。面白い変化ではないか。

因みに「東海」の言葉からは静岡や神奈川の海辺を思い浮かべるがそれも誤解のようだ。

啄木は「東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて蟹とたわむる」とうたった。

その海辺は決して静岡や神奈川ではない。彼の生まれ故郷岩手の海辺なのだ。「東海新報」という新聞は本社を大船渡に置いている。

2023年1月1日日曜日

謹賀新年

 あけましておめでとうございます

今年も良い年となりますように!!